〈マッチの玉手箱〉第5回は、1984年(昭和59年)2月11日(土)、12日(日)「怒涛のような」2日間の出来事です。2週間前のプロポーズの返事はどうなる?2人に突然降りかかった事件とは?
⚫︎2月11日(土)
軽井沢で待合せしてスケートデート
🙋♀️この日は軽井沢駅で待ち合わせ。私は長野発8:47、到着が9:54だったみたい。メモが残ってるよ。
🙋♂️僕は上野発の特急あさまで軽井沢へ。すぐ駅前でレンタカー借りて、「軽井沢スケートセンター」へ行ったんだよね。
🙋♀️とってもいい天気で、浅間山が綺麗に見えたの覚えてるな〜
🙋♂️小学校でやってた🙋♀️は、マイシューズでスイスイ滑ってたね。スキー派の僕も何とか負けずに滑ったけど、すぐ脚にくるんだよな〜💦
浅間山をバックに滑る。軽井沢スケートセンター屋外リンク
🙋♀️3.4年生の頃通った小学校の冬の体育授業はスケートだったから。校庭をスケートリンクにしちゃうんだよ!
🙋♂️校庭でスケート⁈すごいな〜。温暖化の今じゃもう無理だね。ところで、このスケートセンター、残念ながらもう無くなってるんだ。2009年(平成21年)3月31日で閉鎖、だって。
🙋♀️そうだったんだね〜。仕方ない流れなのかもしれないけど悲しいな…
🙋♀️ここで、お土産交換したね。私は二人のネームを刻んだペンダントを買ってもらった。🙋♂️には、軽井沢のロゴが入った帆布のバッグ。それと「高原の缶詰」っていったかな?
モー
って鳴く缶詰。面白がって買ったっけ🤣
🙋♂️そういえばモーモー鳴かせて遊んだよ(笑)
レマン湖レイクニュータウン三越ファッション館のシュヴェルニー城の前で。人に頼んでおきながら自動シャッターを押してしまい…ジーーーーーーー😅
🙋♂️スケートの後、どこかで食事してから、レマン湖ニュータウンに行ったんだよね。
🙋♀️二人で写真撮るのは、この日が初めて。なのに結構、馴れ馴れしくて、ちょっとびっくりしちゃった!腰に手回したり〜
🙋♂️ええっ!コシ?そんなことした⁉️
🙋♀️したじゃん、覚えてないの?
🙋♂️(ブンブン)頭を横に振っている
🙋♀️その顔は、覚えてるな…
そしてプロポーズの返事は?
🙋♂️忘れてるみたいだから言うけどさ、この日は大事なミッションがありましたよね〜?
🙋♀️え、何?忘れ…?いやいや、とんでもない!39年前のこの日だって、言わなきゃ、言わなきゃ、って思ってた。でも、恥ずかしいのもあるけど、お昼に入ったお店でも言い出せなかったなぁ。
🙋♂️それは、なんで?
🙋♀️その時は、なんか、周りが気になって、つい「後でね」って💦 でも、雰囲気でたぶんNOじゃないなって思ってたんじゃない?
🙋♂️そりゃ軽井沢で仲良くデートしてるんだし、そもそもNOだったら来ないもんね。でもヤキモキしてたよ。誕生日プレゼント渡すタイミングも、最後の最後になっちゃったな。
🙋♀️結局、レンタカー返す前に、車の中でもらったんだよね。可愛いオルゴールだった。すごく迷ったって聞いたから、そうして選んでプレゼントしてくれた気持ちが嬉しかったな〜
🙋♂️だから、じっくりオルゴールの音を聞いてたんだね。でも、それ以上に感激したのは、🙋♀️がしっかり手に乗せて、身じろぎもせずにジーーっと最後まで聞いていた姿なんだよ‼︎だって普通は、途中で止めるよ。それを音が止まる最後までジーーっと見つめて・・・
🙋♀️いや、ごめん。言いにくいんだけど、それ、実は、、止め方わからなくて。止めるボタンとか、どこなんだろ〜って。
🙋♂️え・・・
🙋♀️でもね、実家にも、父が母にプレゼントしたオルゴールがあったから、不思議な偶然さとロマンチックな気分をじーんと感じてもいたんだよ。
🙋♂️こっちもじーんとなってたよ。でも、レンタカー返す時間が迫ってくるなか、まだ肝心な事を聞けてなかった。
🙋♀️うん、残り3分ってところだったね。ギリギリセーフ(笑)
「ついていくだけで精一杯かもしれないけど、それでもいいと言ってくれるなら、ついていきます。」
だよ‼️ どうなの、このセリフ?
🙋♂️うわ、しびれる〜。昭和だね〜〜
で、自分はなんて答えたんだろ?
🙋♀️「ありがとう、、ついてきてください。」って。
🙋♂️🙋♀️昭和だーーーーー
この日は
レンタカー代 6,800円
ガソリン代 915円
スケートセンター入場券 1,200円
駐車券 400円
ランチ サンドイッチ 1,200円
紅茶 380円
軽井沢スケートセンターチケット
🙋♂️ところで、このスケートセンターチケットの写真の女の子。なんか当時の🙋♀️に似てる!
🙋♀️えっ、どこが?
🙋♂️髪型や雰囲気がなんとなく。カメラ向けると面白いポーズしてくれるところがそっくり(笑)
🙋♀️それかい!
そして二人で長野へ
🙋♂️この日は一緒に電車で長野まで帰ってきたんだよね。なんか記憶が無いな〜
🙋♀️そのはずだけど、あっ待って!メモ帳に、「(私の)実家」って記入あるよ。やっぱり一緒だ。
🙋♂️うん、長野駅からタクシーで🙋♀️の家廻って帰ったんだな。この日は一大イベント終えて、幸せ気分で帰ったんだね。明日大変なことが起こるとも知らないで…
🙋♀️あーあ 💧
⚫︎2月12日(日)
翌日は映画館へ行くが…
🙋♂️この日は10時に喫茶店「白鳥」で待合せて、映画。ブログの題名が〈マッチの玉手箱〉なのに、お店のマッチが残ってない💧Googleマップにも出てこないし、ネットで調べても痕跡が全く無いから、場所もわからん。
🙋♀️確か、権堂にあった大きいお店だったような気がするんだけどね…
🙋♂️映画館は多分、前回と同じ長野(松竹)相生座かな。しかし、「楢山節考」と「序の舞」セットで上映してたんだろうけど、よくこんな映画を観に行ったなぁ。
🙋♀️「序の舞」だったんだね、これまで、この時の映画「けものみち」だったと記憶違いしてた。名取裕子の顔はすごくよく覚えてるのに。
楢山節考(1983年4月公開、1983年のカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞した、今村昌平監督、緒形拳主演の映画。)
序の舞(1984年1月公開、上村松園の生涯をモデルとした宮尾登美子の同名小説の映画化。名取裕子主演)
映画が観れなくなる事態が発生!
🙋♂️二人に「人生を左右する緊急事態」が起きたのは、この映画観てる時だったね。
🙋♀️「楢山節考」が終わって休憩時間の時に、館内放送で名前が呼び出されたのには驚いたね。
🙋♂️うん。そんなの生まれて初めての経験だよ。慌てて受付に行ったら、なんと父親からさ。
🙋♀️市内の映画館、電話かけまくったんだろか…
🙋♂️多分そう。映画館に呼び出しかけるんだから、何か事故でも起こったのかと思うじゃん。
そしたら、「結婚式の日取りをすぐに決めて連絡してくれ」だよ⁈
🙋♀️中で待ってたら🙋♂️が深刻そうな顔して降りてきて、「ちょっと至急話し合わなくちゃいけないから、一旦外に来てくれる?」って。なんか、ちょっと怖かった。何事だろうって。
出ていく時、「序の舞」がちょうど始まって、名取裕子が大きく映ってた、それが残像になってるなぁ。
🙋♂️「結婚式の日取りについて、僕たちが決定するのを待っている。どうするのが二人にとって一番いいのか、よく考えて決まったら連絡するように」って。それを、この日、今すぐなんて普通に考えれば、とんでもない話だよね。
🙋♀️とんでもなくスピーディーだった。
🙋♂️確か父親からは、結婚式場に問い合わせたら、大安吉日で空いているのは「10月⚪︎日」しかなくて、今年秋に結婚するなら、今予約しないとすぐ埋まってしまう、早く決めないといけない、と言われて、「え〜っ、もう決めないといけないの?」と少し焦ってしまった気がする。
🙋♀️私は仕事の立場を思ってクラクラしたよ。当時の仕事は、3月から次の年の3月までの1年間、巡り合わせによっては2年間縛り。絶対転勤のない、途中で辞めることはあってはならない性質の仕事だった。そして、その時点の私は2年間縛りの真ん中にいたから、すごく困った。というか、結婚するとしても来年だろう、と思い込んでいたのかも…
🙋♂️父親がせっかちだったこともある。僕がプロポーズのOKもらった事を話したら、速攻だもん。いくら急いでいたとしても「今日中に判断なんて無理、何日か時間くれ」って言えばよかった。なんで言えなかったかな。
🙋♀️こんなことなら映画なんかで時間を潰さずに、結婚の時期や結婚後の事を、ちゃんと話し合っておくべきだったよ。といっても、前日にOKしたばっかりだったんだけど。
🙋♂️2人とも初めてのお見合いだったし、今後の段取りなんて、考えてもいなかった。そんなことに考えが至らず、結婚の返事もらって舞い上がって映画見ていたなんて。なんと世間知らずだったのか、申し訳ない。
🙋♀️やっぱり、ここに至るまでに考えとくべきだったんだよ。そういう事をしっかり納得してからのOKがホントだったかも。経験不足だった。。馬鹿だったなぁー
二人が出した結論は?
🙋♂️本当の気持ちとしては、どうしたかった?
🙋♀️当然、今担当してる仕事を来年3月にちゃんと終了させての退職。他に迷惑をかけずに自分の責任をちゃんと果たせるからね。結婚はその直後の春か秋、ということかな。🙋♂️は?
🙋♂️結婚するならすぐしたかったし、先輩たちが、東京以外の遠くへ異動するのを見てたから、自分もそうなると思ってた。実際、来年2月には転勤になりそうだったから。遠距離になると、結婚までの準備が大変かなって。
🙋♀️仮に今年の秋に結婚するとした場合、仕事をどう続けるかの選択が2つだった。
🙋♂️1つはギリギリまで勤める案だね。
🙋♀️そう、夏休みまで。だけど、仕事の性質上中途半端になって、かえって大勢の人に迷惑をかけてしまう。それくらいなら、今年度でやめた方がまだましなのかもしれない、と考えた。
🙋♂️2つ目としては、結婚後も来年3月まで仕事を続ける案。これが親から提案されたんだけど、まるでお話にならない。「🙋♀️が🙋♂️の実家に入って暮らし、」「🙋♂️の実家から通勤する」なんて、今じゃ考えられないよ。兄貴の家族だって居たんだし。その時に怒らなかった自分が情けない。当時の結婚は「家」と「家」との結び付きだったんだね。今の時代だったら、秋に結婚し、来春の退職までは別居、なんてのも普通にありかもしれないのにね。
当時の🙋♀️の極秘ノート
🙋♀️この時は本当に悩んだよ。仕事の責任は果たしたい。だけどもう、諦めないとだめかも。でも、仕事上のすべての関係者、それから同僚の人たちにすごく迷惑をかけることになってしまうのが申しわけなく、とてもつらい。どうしたらいい?でも他の選択肢よりこっちの方が、まだマシだよね?どうなんだろう?
『今年度でやめるか、それとももう一年やるか』考えがあっちいったり、こっちいったり。
🙋♂️映画館の扉の外で「どうしよう?」って話し合ってた記憶があるけど、そこですぐに結論出して、電話したんだったかな。
🙋♀️わたしもよく覚えてないけど、ずっと悩んでた。もう映画なんか観れるはずもなく、映画館を出ていったことは覚えてるけど。
🙋♂️最後はこっちに合わせてくれたんだよね。
🙋♀️あまりに悩んでわからなくなった💧💧
最終的には、「どちらがいいと思いますか?🙋♂️さんがそうしてくれって言ったら、私、決めます!」と🙋♀️。で、🙋♂️が「僕は9月に結婚したい。今すぐにでもしたいくらいなんだ」ってなこと答えて、それで決着だよ。私ばかりに負担かけた分、きっと幸せにするよって、言ってくれた。
🙋♂️本当に申し訳なかったな。
🙋♀️いまさらだけど、転勤無かったんだよね😈結局は。(我が家の結婚詐欺と呼んでいる)笑笑
あの時、決死で決めたのにさー
🙋♂️あくまでも結果論だからね。僕に悪意ないよ!神に誓って!
善光寺詣りとお食事
🙋♂️なんとか結論を出して、結婚式の日取りについての連絡をした後に、善光寺に行ったんだよね。でも🙋♀️は内心まだ悩んでいたんでないかな。
🙋♀️この時は決心したつもりだったけど、、うーん、スッキリとはしてなかったのかなぁ。この後のノート読むと、当時の複雑な自分が見えるね。でも、必死に前に進もうとしてたみたい。
善光寺で記念撮影
🙋♂️この後、長野駅近くの、ビストロ「クエル・ド・クエル」で食事したけど、これってランチだったっけ?
🙋♀️緊急事態が起こってからのこと、よく覚えてないよ。お昼食べてないもんね。遅いお昼?早い夕食?
🙋♂️このお店はマッチは残ってないし、閉業してしまったけど、情報はまだ残ってた。昨年(2022年)9月に閉店だって。46年間も営業してたのに残念。
🙋♀️オムレツをふたつ頼んでシェアしたね。
🙋♂️お店で撮った写真見ると、🙋♂️は満面の笑顔で、お昼の緊急事態が無かったかのよう。🙋♀️は昨日のペンダントを手に、なんとか笑顔を向けてくれている(笑)
この日の支払いは
映画チケット 1,500円
お守り(600円2個) 1,200円クエル・ド・クエル
オムレツ 880円
キール(ワイン) 380円
🙋♀️毎回だけど、特にこの週末は激動の2日間だったね!まだお見合いしてから1ヶ月しか経っていないのに。今でも忘れられない2日間だよ!
🙋♂️ほんとほんと。でも、これからも楽しくも、大変な日々が続くんだよね。
ジェットコースターみたいな2日間が終わり、次回第6回は、2週間後の2月25日、26日の長野市内デート。なぜ予定外だったこの週末に会うことになったのか?結婚に向けた二人にまつわるお話へとつづく。
軽井沢は、39年間でどう変わったか?
軽井沢スケートセンターの今は?
残念ながら、現在はもう開業していない。Wikipediaによると、1984年に我々が滑った屋外リンクは、その後屋内スケートアリーナに変わったが、2009年に53年間にわたる営業を終えたそうだ。
⚫︎Wikipediaより
1956年1月15日に開業。屋外の400mリンクと屋内リンク、テニスコート、ホテルなどがあった。1993年(平成5年)には、敷地内に千ヶ滝温泉の入浴施設がオープンした。
1963年(昭和38年)には世界スピードスケート選手権が行われた。以降、世界スプリント選手権、全日本選手権、ISUワールドカップなどの大規模な大会が行われてきた。
しかし軽井沢スケートセンターの再開発と老朽化のため、2009年3月31日で隣接していた軽井沢千ヶ滝温泉ホテル(1977年開業。旧:軽井沢スケートセンターホテル)とともに閉鎖された。以降は、立ち寄りの湯「軽井沢千ヶ滝温泉」のみが営業を継続している。
軽井沢スケートセンターの場所は、まだ営業している立ち寄りの湯「軽井沢千ヶ滝温泉」とGoogle MAPの航空写真からマップの赤い◻︎の所だと思う。
冬の雪の積もった浅間山はとても綺麗だ。そんな浅間山を眺めながらスケートができたなんて、幸せだったんだなと改めて思う。
軽井沢駅前でレンタカーを借りた時にもらったマップが残っている。
39年前にもらった軽井沢マップ
なぜ真冬のレマン湖レイクニュータウンに行ったのかと不思議だったが、多分このマップを見たからだろう。
39年後の今の軽井沢レマン湖周辺はどうか?
レマン湖という名前も、レイクニュータウンという名前もGoogleマップで確認できるが、1984年に訪ねた頃とは全然異なっている。現在は「軽井沢レイクガーデン」という、レマン湖を中心に8つのエリアをもつ広大なナチュラルガーデンと、レイクニュータウンという別荘地があるだけで、当時のリゾート地としての賑やかさは全く無いようだ。
別荘地を現在管理している会社のホームページに歴史が書いてある。
⚫︎Wikipediaより抜粋
1961年から国土計画興業株式会社が南軽井沢の更に南に広大な土地を取得して、1963年軽井沢湖(南軽井沢湖)と称する人造湖(11年後レマン湖に改称)を中心とした大規模別荘地「レイクニュータウン」の造成を1964年から開始した。
国土計画は三越百貨店と提携し、三越店舗でレイクニュータウン別荘地を分譲販売。岡田茂が社長に就任した三越は1974年、レマン湖畔に季節営業の支店「三越ファッション館」を開業し、軽井沢の地に進出するに至った。フランスの古城・シュヴェルニー城を模したという従来の三越店舗には例のない建物であった。1970年代の夏のレマン湖畔は、旧軽井沢メインストリート(旧軽井沢銀座)と肩を並べるほどに大勢の人出で賑わった。
しかし、1980年代には海外旅行ブームが起こり、軽井沢は客足が伸びなくなり一時的に寂れ、レイクニュータウンの三越やホテルなども次々に撤退した。(三越ファッション館の建物は店舗撤退後解体され現存せず。別荘地自体は存続しており、庭園も維持されている)
ビストロ「クエル・ド・クエル」の今は?
このお店は、長野市南千歳2丁目8-5 ホテルナガノアベニュー2Fにあったが、2022年9月に閉業してしまった。昭和51年にオープンしたそうだから、なんと46年間。もう一回行ってみたかった。
Googleマップの今の姿。閉業してからまだ他のお店が入っていないのかも。
お店のあった場所(閉業)
閉店のお知らせ(2022.9.24)
閉業してまだ10ヶ月だから、まだ昔の記事が残っている。少し写真を使わせてもらうと、お店の入口や店内の雰囲気はこんな感じだ。これが無くなってしまったなんて残念だ。
お店の入り口
店内の様子
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