1984年(昭和59年) 4月15日(日)大安。🙋♀️の実家にて、無事 "結納" が執り行われた。が、ここにきて何やら再び不安の闇が襲いつつあった・・・。🙋♀️を不安にさせたものとは?果たして2人はこれを乗り越えられるのだろうか?
🙋♀️伯父に来てもらって、伯母や従姉妹に台所を手伝ってもらった記憶はあっても、儀式の中身は全く覚えてない💧40年も経てばこんなもの⁈
🙋♂️写真はあるけど、全然思い出せないや。ホントによくぞノートに書き残しておいてくれたと思うよ〜。ところで何が書いてあるのかな?
当時の🙋♀️極秘ノート この頃ちょぴり花嫁修行的な事も
🙋♀️ほとんど "心"の日記?だけどね。今回読んでみたら、当時の自分達に驚いたのなんのって!!
🙋♂️えっ? な、なんかあったっけ?
4月14日 (土) "結納" の前日
🙋♀️ノートによるとさ、結納前日は会えないことになっていたのに、🙋♂️が無理矢理会うことにしたみたいだよ。次の日は朝から大変だったのにね(笑)
🙋♂️週末が結納だけで終わるのが嫌だという我儘だなぁ😂…。後で親父にはちょっと叱られたのかもしれないよ。でも、その時は少しでも会えるのが嬉しくて、兄貴から車借りて、VILAMOS(ビラモス)までドライブして〜お茶して〜〜
↓(注)VILAMOS(ビラモス)お見合いした日に入ったお店↓
🙋♀️うん、うん、そうね、ハイになり過ぎてたのかもね。🙋♂️ったら「誰と結婚したって同じ」なんだってさ〜なんて笑って話してるから、内心ドヨ〜ンとなっちゃって。そうか〜お見合いだもんな、たまたま私だっただけだよな〜って。
でももう、結納、明日じゃーーん❗️
🙋♂️当時、飲み会とかで先輩がよくする話、つい笑い話で軽く話しちゃったんだよね。馬鹿だよな〜💦。 結納前日の笑い話じゃないよね。全く、なに浮かれてたんだか・・・
🙋♀️なんかさ、🙋♂️の頭の中はウキウキピンクで、私の方はモヤモヤブルーって感じだよね(笑)
🙋♂️確かにこの頃の僕は「もういくつ寝ると…」状態だった!新婚旅行も楽しみだったし。今から思えば若かったな〜。気配りが足りないっていうか。
🙋♀️私も、全然余裕がなかったな〜。実際はそうじゃないからこその冗談、なのに。。
4月15日 (日) 11:00 a.m. 結納
🙋♀️この日は、朝早くから準備。私は予約した美容院へ行って支度。でも、余裕もって早めに行ったにも関わらず予定の時間までにできなくて、なんと遅刻‼️あり得ないよね💢最悪のスタートだよ😭😭
🙋♂️全然覚えてないけど、そうだったんだ。写真見ると両家で結納の品を並べているから、そういうことやってたんじゃな〜い?(お気楽)
🙋♀️当日を迎えるまでの準備をしてくれた、お互いの両親や親戚には感謝だね。
🙋♂️そうだね。ところで、僕たちの何がそんなに大変だったわけ?
🙋♀️実はこの日、儀式の中で初めて嫁にもらう方ともらわれる方、ふたつの立場があって、それぞれの立場の心中の思いは全く違うことを実感してね・・・
婚約指輪をはめた直後。お見せできないのが残念だが、得意満面の🙋♂️。あれっ、髪の毛が・・(笑)
🙋♀️私もね、今の今まで忘れてたんだけど、ノート読むと、結納の後に随分と悩んでるんだよね。例えば、「○○家と△△家」。聞き流せばそれまでなんだけど、私はこの家を出て他の家に貰われていく。もう今迄の家には戻れない。初めてそういう感覚になった途端に本当に自分は大丈夫なのか、すごく不安で堪らなくなったみたいなんだ。
🙋♂️親父がやたら「○○家は皆いい人間ばっかりだから安心して…」「🙋♀️さんに○○家の一員になってもらって…」「何も心配せず○○家にきて下さい」ってな感じで、○○家、○○家って言い過ぎたんだろーー。
🙋♀️実際、結婚って、あの頃どう捉えてた?私、当時家ってことあまり意識してなかったのかもしれない・・・
🙋♂️僕なんか「お前は次男だから好きにやりなさい」と言われてたから、そんなの全然。高校卒業以来ずっと一人暮らしだし。あの時は、家と家って感覚は無かったよ。「🙋♀️との結婚」だったな。後々、甘かったことがわかるけど💦。出会いのチャンスをくれたことには大感謝なんだけどね。
🙋♀️うん。私もそれまでの不安は結婚後の仕事や生活、すべて「🙋♂️との未来」だった。だけど、初めて○○家に入るってことを意識して結納直後から悩んでしまった、ていうか自信喪失状態。一週間位。
🙋♂️僕はもう必死に東京から電話かけまくった訳だ。なだめたり〜〜すかしたり〜〜(笑笑)。結納直後にこんなことしてる2人なんているかな?
🙋♀️まっ、普通、いないね〜💦。えー、その節は大変ご面倒をお掛けいたしまして…。覚悟ができてなかったよね🙇♀️
🙋♂️いやいや、こちらこそ、嫁ぐ側の悩みは大きかったよね。能天気でごめんなさい🙇♂️
🙋♀️ところで、結納で取り交わした物のメモもあったんだよ!何十年ぶりだろう。あの日、これを両家でやり取りしたんだね〜
🙋♂️記録してあるなんてすごい!僕は帰省した時、父親からなんか説明された気がするけど、お任せだったから、ほとんど覚えてないや💦ホントお気楽
イメージ写真。当時は結納後に、この様に床の間に飾った。写真は結婚STYLE Magazineより。
🙋♀️私たちが結婚した頃は、「嫁ぐ=女性が男性の家に入る」という考え方が一般にもまだ強く残っていたんだろうか。
🙋♂️う〜ん、親世代はそうだったかもね。僕達は戦後の教育を受けた世代で、恋愛で結婚する人達もいたから、いざ結婚となって、儀式の意味合いにショックを受けた人、他にもいたんじゃないのかな〜
🙋♀️昭和末期は少しずつ意識が動き始めてきた時代だったのかな。
そもそも「このお金で支度して嫁いできて下さい」っていうのが結納金だよね。昔は親が子供の結婚の支度を整えた、だから結納があったともいえるね。
🙋♂️今の時代は、多分、ほとんど結納なんてやらずに、顔合わせ食事会くらいじゃないかな。今の若者にとっては、結婚は二人で決めるし、仲人も立てないだろうし。
🙋♀️結婚は家と家のものではなくて、当人同士のもの。当たり前のことなんだけどね。
🙋♂️確かに、我が家の息子も娘も結納なし。僕たちの時と比べれば、はるかにシンプルだよ。
🙋♀️だけど、昔のしきたりが消えていくのも寂しいような…懐かしいような。何でだろうね。
🙋♂️やっぱり「昭和」に生まれて「昭和」で育ったから、精神は「昭和」のままなんだよ。
🙋♀️私たち自身も、昭和の遺産か(笑)
🙋♂️昭和の人間遺産かも(笑)
結納の前後にむくむくと湧き上がった🙋♀️の不安は、なんとか落ち着いたようだ。
結婚式を迎えるまで、まだ波乱は続くのか・・・
次に二人が会うのは、2週間後の4月28、29、30日の三連休。さて、どんな休日を過ごしたのだろうか?
次回第9回をどうぞお楽しみに!
過去の〈マッチの玉手箱〉
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