武蔵野つれづれ草

リタイア後を楽しく!と始めた凸凹夫婦の面白ブログ。見たこと、感じたこと、残したいことをつづります。

🙋‍♂️ふるさとの原風景を求めて 「松本」への旅


ふるさと(故郷)の原風景は?と問われたら、私の場合は、北アルプス槍ヶ岳穂高岳)の白い山々を遠くに望みながら、菜の花やレンゲソウが咲きほこっている松本市の田園風景だ。その中で、私は友だちと手を繋いで、お散歩をしている。はっきりとした輪郭はなく、靄の中の風景という感じだ。でもなぜだか、懐かしくて愛しくてたまらなくなる。

f:id:musashino007:20240207210019j:image北アルプスとれんげそう畑(「ビューポイントあづみの」より)


生まれは長野市なのに、なんで松本かというと、父親の転勤で、6歳になる1963年(昭和38年)から8歳までの3年間、松本市に住んでいたからだ。この間、保育園に途中入園し、小学校に2年間通った。長野に戻ったのは、3年生に転入する時である。


そんなふるさとの原風景に会いたくて、松本を訪ねたことがある。ついこの間のような気がするが、もう17年も前の2007年(平成19年)4月のことだ。夫婦二人で、お互いの思い出の地を一緒に訪ねる旅だった。初日は、妻が小学3年の途中から5年の途中まで住んでいた南信を訪ね、その翌日、私の住んでいた中信の松本を訪ねた。

住まい

3年間住んでいたのは、松本市井川城というところで、大きな農家の敷地内の隅にある、小さな平屋の借家だった。昔は馬小屋だった(or があった)、と聞いた記憶がある。

f:id:musashino007:20240219101357j:image借家の前で。後ろに井戸が見える。ここで3年間、家族5人で暮らした。右から二人目が私。

この写真の左奥には竹藪があって、そこで兄と遊んでいるうちに、左目の下に竹が突き刺さる怪我をしたことがある。もし2cm上にズレていたら瞳に直接刺さって失明したかもしれない。元々右目が弱かったので、左目を失っていたら私の人生は全く違っていただろう。本当に幸運だった。


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(左)の半袖姿では顔に傷は無いが、(右)の兄と一緒に写っているセーター姿の私の左目の下()には傷がある。保育園に通っていた夏から秋の間に怪我をしたことがわかる。

当時住んでいた井川城の住所がわからないので、幼い頃の記憶と、学生時代に兄と一緒に松本に車で遊びに行った時に、チラッと通り過ぎた記憶を頼りに、地図を片手に松本駅から南に歩いて行った。

国道19号線を南下し、ここかな?と東に曲がった時に、この道は、確か、昔家族で銭湯に行った時に通った道だと気付いた。夜空を見ながら「あれがおおぐま座の北斗七星。ひしゃくの部分の長さを5つ分先に伸ばしたところにあるのが、こぐま座北極星だよ」とか父に教えてもらいながら帰った記憶がある。その道の先にあった四つ角。多分ここだろうと、南に曲がって少し行くと、見つけた!ここだ!

松本駅から南に、約2km(30分)くらい歩いた所にその家はあった。

f:id:musashino007:20240227213201j:image貸家があった所には、今は二階建ての家が建っていた。門柱の表札を見て思い出した。そうだ、大家さんの苗字は「○○」だった。

大家さんの庭で父と兄とキャッチボールをしたこと、兄と捨て猫(子猫)を見つけて飼ったこと、当時はもちろん未舗装の家の前の道路で、父親から自転車の乗り方を教わったこと、すぐ近くの池で兄と遊んでいて杭が折れ、池にザブンと落ち、泣いて帰って親に怒られたことなど、様々な思い出が蘇った。


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自宅の門の前の道路をちょっと行った左側に池はあった。今は右の写真の状態。あの頃はもっと大きな池だと思っていたが、こんなに小さかったとは。

保育園

引っ越し後、松本駅のすぐ南にある「中条保育園」に通った。途中入園だったので、入園式も園服も無かった。遠足に出かけた下の写真の中で、園服を着ていないわずかな子供のうちの一人が私だ。

f:id:musashino007:20240222203107j:image遠足に出かける前の写真。真ん中より少し左の園服を着ていないのが私だ。

f:id:musashino007:20240222203110j:imageどこに遠足に行ったのか覚えていないが、集合して撮った記念写真。一番後ろの左から6番目が私。カメラを見ていないよ〜。

最初は友だちもいないし、元々おとなしい性格だったので、しばらくは一人ぼっちだった。でも保育園には、良い思い出が二つある。

一つ目。ズボンのお尻の部分が破けて(糸がほつれて)しまって、園庭でシクシク泣いていたら、先生が「どうしたの?」と聞いてくれて、そっと園舎に連れて行って縫ってくれた。「そこに座って待っててね」と言われて。あの時の先生、優しかったなあ。

もう一つ。教室で折り紙を折ることになった時、先生から「鶴を折れる人いる?」と聞かれて、思い切って手を挙げて折ったら、みんなから「すご〜い」と言われて一気に自信が出て、周りの人とお話しすることができたこと。単純ですね(笑)

井川城の自宅から保育園へは、毎日朝、父親が自転車の後ろに乗せて送ってくれた。自宅からちょっと北東に公民館があって、そこを流れる小さな川の横の道を北上するのだ。左側に北アルプスが見えた気がする。その記憶を頼りに歩いてみた。すると、昔、父が自転車で送ってくれた道があった!

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そう、この景色だ。最初は小さかった川がだんだんと川幅が広くなり、遠くには冠雪の北アルプスが見える。すっかり変わってはいるが、思い出の中のイメージとピッタリだった。

地図には「中条保育園」がまだ載っていたので、迷わず行くことができた。保育園に到着した時の印象は、「こんなんだっけ?」だったが、そのうちに少しずつ思い出してきた。ここに1年近く通ったのだと、感慨深く眺めていた。それにしても、40年以上もそのままでいてくれたことに大感激だ。

f:id:musashino007:20240222155052j:image門が閉まっていて中には入れなかった。

f:id:musashino007:20240220235211j:image鳥居のずっと奥が、遠足に行く前に整列して写真を撮った場所だ。左奥が園舎。


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園庭にあったジャングルジムと、外から覗いた教室の様子。

残念ながら、この思い出の旅をした2007年の10年後に、この保育園は廃園になってしまった。寂しい限りだが、この時行かなければ、二度と見ることが出来なかったわけなので、思い切って松本に行って良かったと思う。

f:id:musashino007:20240222161640j:image卒園式の写真。が私。

卒園式の写真を見ると、いつの間にか園服を着ている(良かったね)。多分10ヶ月くらいの保育園生活だったけれど、私の記憶には、ほんわかした良い思い出として残っている。当時の先生の皆さん、ありがとうございました。

 

小学校

小学校は自宅から北に850mほどにある「鎌田小学校」に入学した。大きな小学校だった。

f:id:musashino007:20240228075642j:image担任はハキハキしていて明るくて優しい女の先生だった。1クラスは41人。が私。

校舎の正面には石碑が立っていて、そこには「誠実」と彫られていた。だからだろうか、小学校時代の好きな言葉は「誠実」だった。

f:id:musashino007:20240222205544j:image校舎正面に石碑が建っている。もちろん校舎は木造だ。
f:id:musashino007:20240227224948j:image彫られている文字を拡大したのが矢印の先の「誠実」。石碑の向こうの広い校庭で運動会などが行われた。

小学校1-2年の時の、学校で撮られた写真は少ないが、いくつか並べてみた。

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運動会で。(上)の集団演舞も(中)の綱引きも、自分がどこにいるかわからない(笑) 。(下)インコーナーを走っているのが私。


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(左)入学式の前に、自宅玄関前で
(右)下校前にグランドで先生に呼び止められて、クラスの女の子と一緒に撮った写真。今どこで何してるのかな。

実は、小さい頃はキラキラ輝いているモノが好きだった。そのせいか、クラスの女の子が「リリアン(リリヤン?)」を巻いて作った糸鞠を学校に持ってきた(確か吊るしていた)のを見て、綺麗だ〜!と感激して、巻き方を教えてもらおうと、女の子のお家に遊びに行ったことがある。

f:id:musashino007:20240228072054j:image記憶のイメージに近い、リリアンの糸鞠(「柳川毬教室のご紹介」より)

さぞかし女の子のお母さんは、男の子が教えてもらいに来たことにびっくりしたことだろう。という前に、私の親の方がびっくりしていた。たった一回こっきりで終わったが。難しかったのかな。

f:id:musashino007:20240227220412j:image教室でハーモニカの合奏を披露している写真。ハーモニカは大好きで、自宅の庭でよく練習していた。

鎌田小学校の校歌は1番だけだけど、歌うことができる(と思っていた)。

「れんげ草咲く春の園♪ 秋は穂波のゆれる間に♪ 湧き水清く流れゆく♪ ゆたかにひろい筑摩野の〜♪ 鎌田のまなびや懐かしく♪ 師ともろともに励みあう♪

ところが、松本市の小学校のホームページに歌詞が掲載されていたので確認してみたら、間違っていた。覚えていたのは、1番ではなく2番で、しかも、最後の部分だけは1番の「師ともろともに励みあう」に入れ替わっていた。正解は「友だちみなと手をつなぐ」だった。記憶とはかくもいい加減なものである。

f:id:musashino007:20240228082217j:image3番には、私の住んでいた「井川城」のことが歌われていた。今回調べて、初めて認識した。当時は、何歌ってるかわからなかったのかな。

さて、思い出の旅では小学校はどうだったか?

鎌田小学校はまだ健在で、地図にもちゃんと載っていた。だから、迷うことなく自宅から歩けると思って通学路を歩いてみたが、何だか印象が違う。昔はこんなに家が建っていなかったからだろうか。

f:id:musashino007:20240229000430j:image自宅と学校を結ぶ通学路。昔は両側は畑で、もっと広い道だった気がするのだが・・。

ところで、この通学路で、人生初めての「ゆすられ事件(笑)」を経験したことがある。登校する時に、どういうわけだか「マッチ」が私のポケットに入っていて、それを同級生に見つかってしまったのだ。自分自身でさえ焦っているのに、「学校にマッチ持ってくるなんて、いけないんだ〜。でも、ぼく、誰にも言わないよ。だから・・」と耳元で言われ、大汗をかいた記憶がある。だから・・、のあとは覚えていないから、大したことではなかったのだろう。しかし、その時に決心した。誤ってミスをした時は、隠さずに正直にオープンに話すこと。以来今までの人生で、ゆすられたことはない。たかられたことはあるが(笑)

 

昔の印象とは違うが、地図を見ながら進むと、鎌田小学校の校門にたどり着いた。

敷地内に入ることが出来なくて、外側からだけだとよく見えなかったが、もう木造の校舎は無く(当たり前か)全く様相が変わっていて、当時の面影を見つけることは出来なかった。校舎の建て替え工事で、校舎とグランドの位置もだいぶ変わったのだろう。それでも、ここで過ごしたんだなぁと、懐かしい思いに浸ることはできた。

f:id:musashino007:20240228232546j:imageもう、木造の校舎ではない。

f:id:musashino007:20240229074448j:image「誠実」の石碑はどこに行ったのだろうか?


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(左)まだ工事中で、プレハブが建っていた。だいぶ校庭が小さくなった気がする。(右)校庭をバックに記念撮影

f:id:musashino007:20240223171842j:image現在の鎌田小学校をGoogleマップで上空から俯瞰したもの。これを見ると、昔は校舎は縦向きだったのが横向きになり、校庭も削られたのかな。

学校の周りを歩いてみたら、そこかしこに春の息吹きを感じることができた。清々しい気分だ。

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「名水の地」松本

44年前(今からだと61年前)に住んでいた場所、通った保育園や小学校を訪ねてみて、やっぱり私のふるさとの原風景は松本なんだなぁと再認識した。「原風景」って、ありありと浮かぶのではなくて、まぶたを閉じると浮かぶ、靄の中の風景のように思う。

実際に現地を歩いてみて、新たな発見もいっぱいあって、有意義な旅だった。(17年前の旅のことだけど)

 

あとは、電車の時間まで少し松本市内のお散歩だ。残念ながら松本城まで行く時間はなかったので、当時、松本城の前で家族で撮った写真をご紹介。

f:id:musashino007:20240229081539j:image父が背広を着ているので、ただ遊びに来たのではないのかな。それとも、父は休みでも外出着は背広だった?

松本は、周囲の山々から生まれ出る清らかな水を地下にたくわえた町だ。私たちが松本に旅をした翌年の2008年度(平成20年度)に、環境省が松本の水を「平成の名水百選」に選定している。松本は「名水」の地なのだ。

私たちは、翌年名水百選に選ばれるとは知らずに、ぶらぶらと市内を歩いた。

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そこかしこに清流が流れ、通りには白黒の蔵造りの建物も多く、それらがよく整合していて素晴らしい街並みになっていた。

f:id:musashino007:20240229100153j:image市内中心部を流れる「女鳥羽川」で、子犬が遊んでいた。

長野県では、長野市松本市は昔から何でも競争しているイメージがあるが、こと街づくりに関しては、松本の方が一枚上のような気がしてきた。松本は私にとって原風景の街だが、長野市は私の生まれ故郷なので、長野市にももっと頑張って欲しいと思った次第である。

 

実は、今回のブログの前に、小学1-2年生の時の作文を題材にしたブログの下書きを書き終えてあった。何ヶ月も前のことだ。

その時、17年前に松本への「思い出の旅」をしたことを思い出した。だから、まずはその旅を題材として、松本時代の思い出を先に記事に出すことにした。しかし、先延ばしにしているうちにだいぶ時間が経ってしまったので、慌てて書いてみた次第である。

したがって、松本時代の思い出は、今回のブログと合わせて、二つの構成になる。次回は、この小学校の作文を元に松本時代の思い出をご紹介したい。

 

これで、ふるさとの原風景を求めた「松本」への、17年前の旅は終わりです。だいぶ長くなってしまいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

昭和時代の懐かしい思い出の記事です。よろしかったらご覧ください。

⚫︎小学校3年生〜4年生の頃(昭和41,42年)

musashino007.hatenablog.com

⚫︎4歳〜5歳の頃(昭和37年)

musashino007.hatenablog.com