大河ドラマの「光る君へ」は源氏物語の作者紫式部がヒロイン。時は平安時代。
でも、この頃の女性のことが、自分はイマイチよくわかっていない気がするので、
紫式部の様な中級貴族女性の生き方をざっくりとおさらい♪
ここからは
『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』服藤早苗
を参考にさせていただきました。
「源氏物語」が書かれた頃って?
紫式部は、夫藤原宣孝を亡くした後、貴族のトップ藤原道長の娘彰子(しょうし)に仕えた。30歳頃だったらしい。
この時、道長は左大臣、36歳。
14歳😱の彰子は2年前に一条天皇に入内して、
皇子が誕生(1008)。後一条天皇として即位するのが1016年。藤原氏の摂関政治が始まる。
ちょうどこの平安時代(794〜1185)の真ん中頃、10世紀の終わり〜11世紀の初めにかけて「源氏物語」が書かれたのである。
恋は待つもの⁇
男性が無理矢理関係をせまるとか超男性優位!
(奈良時代は対等だった)
ゆえに、女性は、
同じ身分同士の男性からの誘いをひたすら待つ!
しかし…できれば自分より身分が高くて、教養もあるイケメンだと幸せ〜〜♡というのが本音
結婚には社会的手続きが必要
その手続きとは ①男性からの求婚
②女性側両親の承諾
女性自身の決定権はない‼️😭
「婿取り婚」が普通だった
結婚式の準備は新婦の父。そこへ新郎がやってくる。新郎の両親は出席すらしない。
式後、新婦の家で同居になるか、通い婚になるかはともかく、妻側の両親がすべてのお世話。
妻は実家でのんびりなんだ〜♪ 羨ましい〜〜♪
なんていってはいられない!
中級貴族はこうした正式な妻が2.3人はいた!
夫が通って来なくなれば、離婚‼️(な、なんと…)
だから妻の両親必死のお世話だよ〜💦
一夫多妻制なのに、妻の不倫は絶対アウト!即離婚‼️
男性は、高い身分の財力ある舅に婿取られたい♪と、逆玉狙い
女性は、両親を亡くすと婿を取れないので、妾になったり勤めたり・・・なかなかきびしい
一番大切な仕事とは?
しばらくすると妻の両親とは別居するが、夫の両親との同居はない。
住居は夫の両親が提供するか、夫自身が用意する。が、夫の両親との関係はと〜っても薄い。
なので嫁姑問題なんて無かった‼️(へぇー)
さて、10世紀以降になると
貴族の家業は男から男へ継がれるようになった為
(奈良〜平安初期は"継ぐ"という考えが確立してなかった)
子供が必要になった!それも男子が‼️
ゆえに、女性は、
早く結婚し
毎年のように妊娠出産
とても身体が無事とは思えないんですけど💧
産むことが一番大切な仕事だった!💦💦
女子の教養
必修科目として、書写 管弦 和歌(男子も同じ)。
男子には漢籍(かんせき)があるのに対し、女子にはない。(注.漢籍とは、中国で著された書籍)
しかし、11世紀前期までは、女子なのに、と言われながらも学びを完璧に否定されてはいなかった。
紫式部も兄弟と一緒に漢籍を学んでいた。
「残念だなぁ。お前が男児なら良かったのになぁ」と、父親藤原為時の言葉が残っている。
どうやら兄弟よりも優秀だったらしい(笑)
女性文学の誕生
貴族女性の政治的な仕事は、9世紀中頃からはしだいに男性の仕事になった。
女性には妻や母としての役割が求められるようになり、朝廷に出仕することは恥だ、という女性認識が生まれる。
そんな中、
能力と教育的下地を持つ中下級貴族の女性たちは、朝廷や貴族に仕えながら
自己実現するチャンスをつかんだ!
・自身の悲しみと苦悩で真実の人間の哀しみを描いた
藤原道綱の母「蜻蛉日記」
・新しい長編小説、世紀の大ベストセラーを完成した
紫式部「源氏物語」
11世紀後期になると女性観は大きく変わり、女性の教養は不必要とされた😨
もう、女性の文学は生まれなくなる。。
だから、、
紫式部の不朽の名作「源氏物語」はこの時代だったからこそ生まれた、といえる。
この平安中期という時代の狭間でなければ、女性文学は生まれなかったのだ❗️
この時期に生み出された女性文学は、とても貴重なものだと改めて思いました。
その人の真実の思いや、心情が綴られた「蜻蛉日記」「枕草子」なども、ちゃんと読んでみたくなりました。
今回、平安時代はこうだったのか、と知って驚いた事もありました。
少しだけですが、平安女性のことがわかって良かったな、と思います。
長々とお付き合い頂きありがとうございます😊