我が家のパソコン、爆発してしまうかも・・😱
北海道札幌市で単身赴任を始めた2015年6月。古いMacBook(Early2009)を東京の自宅に残した上で、札幌の自宅で使うために13インチMacBook Proを購入した。
それから9年と2ヶ月。今まで問題無く使ってきたのに、最近急にバッテリーが膨らんできた。いつの間にか再起動することも増えた。バッテリー膨張は、ひょっとして連日の猛暑の影響もあるかもしれない。底面が丸くなって、テーブルに置いてもグラグラしてタイプが打ちづらい状態になってしまった。
発火や爆発の危険性もあるので、早急に対処する必要がある。起きてしまってからでは遅い。
底面のバッテリーが膨らんでしまったため、テーブルとの間にこんなに隙間が! 蓋(液晶画面)もきちんと閉まらない。
実は、このMacBook Pro、購入後6年ほど経った2021年10月に、同じ症状が出たため、バッテリー交換(Apple Shopで約1万9千円)をしている。しかしそこからまだ3年も経っていないのに、もう膨らむとは・・・。
と言いたいところだが、仕様では通常3〜4年で交換らしいので文句は言えない。前回6年も持ったのが特別だったのだ。
再度バッテリー交換という手もあるが、我が家のMacBook Proは買ってから9年以上とかなり古い。古すぎて、今の「macOS Monterey Ver.12.7.6」を、最新バージョン「macOS Sequoia(macOS 15)」に更新することさえ出来ないのだ。バッテリーだけ交換しても、いずれ行き詰まるのが目に見えている。だから、急いで新しい機種に買い替えることにした。
どの機種にするか色々と悩んだが、出した結論は、
14インチ MacBook Pro(M3)
今まで買い替えの時は、結果的に長持ちするので、多少高くても、大抵は最新機種を購入してきた。
最新の高性能M4チップを搭載したMacBook Proは、11月頃に発売されるらしい。しかしそこまで待てないし、しかもこの円安では、新発売の機種はバカ高くてとても無理だろう。
そこで今回は、2ヶ月後には1世代前(2023年)となるだろうM3チップを選んだ。しかも、このM3シリーズ3種(M3MAX, M3Pro, M3)の中でも一番下位のM3チップ(性能は、M3MAX > M3Pro > M3)である。8K映像編集をやるわけではないので、このM3チップで十分だろう。
とは言っても、これでもまだ高いなあ〜。
購入ボタンを押す指が震えてしまいそうだ😵💫
2ヶ月前、プリンターが壊れて買い替えたばかりなのに、今度はパソコンとは😓 年金生活の身には痛い出費だ。目の前にあるテレビも、いつバチっと壊れても仕方がないくらい、映像も音声も劣化してきているし、困ったものだ。
なぜMacか?
ところで、我が家のパソコンは、世の中の大勢を占めているWindowsやChromeではなくて、今までお話ししたように、Apple社のMacBook Proである。
なぜか?
私は、設定の複雑なWindowsやOfficeは、苦手である。昔はPCに詳しい社内のIT担当に聞かないと上手く出来なかった。長く使っているとゴミが溜まってくるし、動作も遅くなる。OSやソフト更新は、マニュアルを見ながらちゃんとやっているつもりでも、どういうわけか失敗して苦しむことも多かった。
それに対してMacintoshは、昔はよく爆弾が出た(システムエラーの時に出るアラームで、再起動が必要だ)が、扱いは簡単だし、独創的だし、出会った瞬間から大好きになった。私はいわゆる「Mac派」なのである。
Macintoshとの出会い
この40年間を振り返ってみた。
40年以上前の新入社員時代(1980年代前半)は、技術開発の仕事で、HP9845というHP社(ヒューレット・パッカード社)のワークステーションを、何年間か使っていたことがある。
プログラム言語はHP-BASIC。HP社製の測定器を制御して実験データを取得し、色々分析したりシミュレーションしたり。
手軽なパソコンなんてものはまだ登場していない。資料作成は手書きと切貼り、会議のためのコピーは青焼きの時代だ。資料を作成するのに、社内システム用データ端末を代用した時期もあった。
その後、日本語ワードプロセッサ(ワープロ)が出てきて、手書きに取って代わった。私の職場では富士通のOASYS(オアシス)が主流になった。OASYS端末が足りなくて、自宅でも使えるラップトップ型を自前で買ったこともある。その頃OASYSを使ったことのある人なら、「親指シフトキー」とか「点動作」と聞くと、懐かしいのではないだろうか。
(左)デスクトップ型OASYS 30AF
(右)ラップトップ型OASYS LX-4500
パーソナルコンピュータ(パソコン)が普及してきたのはその後だ。元々パソコンという名称は、NECより2年前に米国でApple社が広告で言い始めたものである。日本ではMacintoshよりもNECの9800シリーズ(MS-DOS)が評判になり、少しずつ会社にも置かれるようになった。良く使われた市販ソフトは、文章作成は一太郎、図表作成やイラストは花子、そして表計算ソフトは、Lotus 1-2-3だった。
私が初めてApple社のMacintoshと出会ったのは、この頃だ。当時、研究所の人たちと仕事をする機会が多く、研究者たちの多くはMacintoshを使ってシミュレーションやデータ分析を行い、論文を書いていた。研究者や科学者そして音楽家等の芸術家が惚れ込んでいたMacintosh。それを見て私も、職場で1台用意して使ってみたら、その独創性、面白さ、凄さにハマってしまった。
Macintosh SE(Smithsonian MAGAZINEより)。Appleロゴは今は黒だが、昔はずっとカラフルだった。
今はWindowsでも当たり前になっているが、ファイルを削除するのにゴミ箱に捨てるだけ、なんていうのはMacintoshからだ。何か操作した時に鳴る音も面白かった。
新しいソフトをインストールするのも、Windowsだと設定がややこしくて嫌になるが、Macintoshだと画面に落とし込むだけで設定要らずですぐに使える。WindowsOSのパソコンより、圧倒的に使いやすく、かつ創造的で、面白いのだ。
バンドルされていたHyperCard(ハイパーカード)というソフトはとても先進的で、Macユーザーには人気絶大だった。今なら同じことはWindows(or Microsoft Office)でも出来そうだが、Macとは根本的に発想が違っているので、使うとその違いがわかる。
まあ、Apple一社でハードもソフトも作っているからこそ出来ることであり、それはiPhoneも一緒だ。iPhoneが登場した時は、一気に世界が変わった。
ハイパーカードを立ち上げた時の画面。今のPowerPointはこの真似に見える。
何年かして、新規に立ち上げた会社にいた時に、社員のパソコンを統一することになり、WindowsにするかMacにするかで社内で争ったことがあった。
Mac派だった私は、研究所の人たちと協力して強力に推したが、やはり社会の趨勢(≒情報システム部)には勝てず、Mac派は負けてしまった。それ以来、仕方なく、会社(そのあと会社が変わっても)では、Windowsマシンをずっと使うことになってしまった😢
会社ではどちらを向いてもWindowsパソコンだらけ。ビデオ規格でも何でも、私の選んだ規格は、いつでも主流派にならずに、いつの間にか消え去ってゆく。(その苦難の " 非主流人生😢"で、どれだけ辛酸を舐めてきたか(笑)、いつかブログに残しておこうかな)
Macもダメだったか〜と諦めて、自宅用にNECや富士通のパソコンを買ったこともあった。
ところが、会社の機密情報や顧客情報が、ネット接続環境下で流出する事件が世の中で相次いで起きたため、「自宅のパソコンで、会社の資料や情報を扱うことはまかりならん!」という情報セキュリティ強化の時代になった。
自宅のパソコンで会社の資料を扱えないなら、もう自前でWindowsパソコンを持つ必要は無い。ようやく正々堂々とMacを我が家に迎え入れることが出来る。遂に我が家に「Mac時代」が到来した。
大袈裟ですが(笑)
もちろん、WindowsOSの方が、市販のソフトウェアやゲームの数は圧倒的に多い。でも、私はゲームはしないから、まあ殆ど問題はない。
また、Windowsでは有料のMicrosoft Office(Excel、PowerPoint、Word)をインストールしないと何も始まらないが、Macは買った時から、同じ機能のソフト(Numbers、Keynote、Pages)が無料でバンドルされているし、写真加工や動画作成ソフトも最初から付いている。
だから、Macは買って電源を入れさえすれば、その場ですぐ使えて何でも出来る。もちろんスマホ(iPhone)との連携も超簡単だ。WindowsやAndroidでも同じことが出来ると言えば出来るのだが、Apple一社の連携の方が圧倒的に使いやすい。
ということで、現在の我が家では、夫婦ともども「MacBook Pro、iPad Pro、iPhone」というApple一色のフォーメーションで、楽しく平和に暮らしている。
Apple社には多大なる貢献をしているのだから、今回の買い替えも割引してくれるとありがたいのになぁ(笑)
さて、この50年で、技術が飛躍的に伸びて、こんなにも社会が変わった。しかし、同時に気候も大きく変わってしまった。止められないとすると、果たして、100年後はどうなっているのだろう。
いくら優れたIT機器が発明されても、お米も野菜も育たない世界では何も意味がない。100年後、果たしてヒトはどのくらい生き残っているのだろう。心配になる。
技術が今よりずっと良い方向に進化して、安心安全で、誰もが幸せに感じる社会に、そして地球になっていることを心から祈りたい。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。