「軽井沢町追分宿郷土館」の見学を終えてぶらぶら歩いていると、街道沿いに「夢の箱」なるものを見かけた。
「夢の箱」。軽井沢ロータリークラブが2015年に設置したようだ。下に "青空文庫のきまり" が書いてある。
鍵の無いガラス戸の中には、多種雑多な本が入っていて、誰でも自由に一冊ずつ借りることができる「夢の箱」。自分の蔵書にしたい場合は、自分の本を代わりに置いていく、という "青空文庫のきまり"。何とのどかな風景だろう。さすが、明治以降、多くの作家たちが執筆のために移り住んだだけのことはある。文学を愛し、日頃から本に親しむ精神が脈々と伝わっているのかもしれない。
最初に入ったのは?
左側に「堀辰雄文学記念館」、右側に「信濃追分文化磁場 油や」
「どちらに入ろうか?」
「やっぱり、こっちでない?」
迷うことなく、右側の「油や」の門をくぐった。4年半前に初めて寄った時の感動を再度味わいたかったのと、CAFEの看板を見つけたからである。12時を過ぎ、お腹が空いていた。
まるで農家のような門を入り、建物に近づくと、軒下に「油屋」の看板のある、旅館のような建物が見えた。「信濃追分文化磁場 油や」だ。
どのようにして誕生したのか、パンフレットを要約してみると、
旧油屋旅館は、江戸時代に追分宿で脇本陣をつとめた旅籠だった。昭和になってからは堀辰雄・立原道造・加藤周一などの文士・知識人たちが執筆に利用し、多くの作品の舞台にもなった歴史ある建物だ。
2012年にNPO法人「油やプロジェクト」が発足し、「旧油屋旅館」の建物を改修した「文化磁場油や」を活動拠点として、追分地区の町おこしを始めた。イベントや展示会を企画立案し、本・アート・クラフトなど良質の作品を制作する地元作家などを支援している。
パンフレットにある「油や」のコンセプト(all about 油や)が面白い!
1F。旅館のように靴を脱いで上がる。
2F。素泊まりで宿泊ができる和室が5つある。
1Fフロア図にあるように、「油や回廊」を通って、様々なギャラリーを回りながら、工芸品やアート作品に触れたり、古盤、古本、古美術等を通じて、感性を刺激され、歴史を旅することができるようになっている。
(入って左側)ストーブの奥は「追分喫茶室(CAFE)」
(入って右側)階段で本館2F宿泊室へ。客もチラホラ
「CAFE」の字に釣られて入ってはみたが、時間が勿体無くて、ここでのランチは諦め、館内で歴史旅をすることにした。(一体、ランチいつ食べるんだ〜?)
面白いものがたくさんあり過ぎて写真を撮り過ぎてしまったが、❶追分古盤堂(LP・CD)、❷ギャラリー(アート・アンティーク・古雑貨)、❸阿房文庫(古本、古雑誌等)の3つだけ簡単にご紹介したい。
❶追分古盤堂(LP・CD)
回廊には、面白い置物などがたくさんあり、目移りする。廊下の突き当たりが「追分古盤堂」。懐かしいLPやCDがたくさん置いてある。
昭和時代のLPが、山のように置いてある。
レコード好きにはたまらない場所だ。私も今回は絶対なんか見つけるぞ!と意気込んで探しまくった結果、アメリカ映画音楽のLPを見つけた。
アメリカ映画音楽大全集のLP2枚組「THE FAMOUS AMERICAN SCREEN THEMES」をゲット。定価3,000円のものが、何と700円である。来た甲斐があった!
❷ギャラリー(アート・アンティーク・古雑貨)
回廊の廊下の脇や、それぞれの小部屋や展示コーナーにも、それこそ何でもあり!の状態。見てるだけで楽しいが、何か買っていくには、探す時間が足りない。妻はマスキングテープとイラストカードを買ったが、ちょっと高かったみたいだ。でも、地元作家の応援になるから、まぁいいか😊
❸阿房文庫(古本、古雑誌等)
前回は、古い雑誌と映画パンフレットを見つけて大喜びした。だから期待していたのだが、残念ながら、今回は成果は無し。古本や古雑誌などはタイミングもあるのかな。でも、古本屋巡りが好きな人は、一日中居ても楽しいだろう。私も、時間が許せばもっと居たかったが、腹ペコで元気が無くなって来たので、先を急ぐことにした。
昔の映画のパンフレット
思わず買いそうになった本。左の「不思議の国の信州人」は、図書館に「新・不思議の国の信州人」があったので借りて読んでみた。でも、信州人としては、納得する反面、反発して頭にくる内容もあるので、読まない方がいいかな😅
参考までに、4年半前に来た時に見つけたのはこれ。右は妻が見つけた本である。
(左)映画公開時のパンフレット「サウンド・オブ・ミュージック」、「風と共に去りぬ」
(中)雑誌「キング(昭和31年6月発行)」。雑誌の中に松下電器産業の広告「お宅の井戸を水道に!」があった。時代を感じませんか?
(右)「ゴッホの手紙(上中下)」
次は?
さて、「信濃追分文化磁場 油や」の見学が、ようやく終わった。結局、2人でお腹を空かせながら、2時間近く館内をぶらぶらしたことになる。
「お腹ペコペコ。これからどうする?」
「追分宿郷土館で買った入館チケット、堀辰雄文学記念館とセットだったよね。」
「じゃあ勿体ないから、ささっと見る?」
ということで、「堀辰雄文学記念館」を、ささっと見学することにした。
右図は、「追分宿本陣」の見取り図。昔は街道の北側(今の「油や」側)にあったようだ。本陣の「■裏門」は、現在の「堀辰雄文学記念館」の入口の門として、2018年3月移築・復元された。
記念館の受付に辿り着いたところで、急に☔️雨が降ってきた。ささっと見学するつもりだったのに、展示室で雨宿りをすることになってしまった。この段階で14時近く。お腹に力が入らなくなり、次第に言葉が出なくなる。
記念館の案内パンフ。手書きでわかりやすい。
(左)常設展示室 (右)文学碑(堀辰雄直筆)
(左)書庫 (右)旧宅
常設展示室で雨宿りしていたら、小雨になってきたので、折角なので(←こう思ってしまうのが、私たちの性格)施設内を巡り、最後は、管理棟の閲覧室で、堀辰雄の企画展を見学した。そこで、堀辰雄の短い人生の系譜や著名文学者との関わり、軽井沢、信濃追分とのゆかりなどについての様々なパネルを目にし、明治、大正、昭和の時代に彼がどう生きたかを知ることができた。
要約すると、堀辰雄は明治37年(1904年)生まれ。室生犀星に誘われて初めて軽井沢に来て以来、毎夏のように訪れている。芥川龍之介を尊敬し、東大の卒論は「芥川龍之介論」だ。軽井沢・追分での滞在・療養の経験が「聖家族」,「美しい村」,「菜穂子」になり、婚約者の矢野綾子との死別が「風立ちぬ」となった。昭和28年(1953年)49歳で夫人に看取られながら、信濃追分の自宅(現在は記念館)で永眠した。
旅行から戻って、早速、堀辰雄の本を借りて読んだのは言うまでもない。
「聖家族(聖家族、美しい村)」「菜穂子・楡の家(菜穂子、楡の家、ふるさとびと)」の2冊。小説の中で、追分村がO村、軽井沢にある万平ホテルがMホテルで登場したり、私たちも歩いた「ささやきの小径」が出てきたり、実際に堀辰雄が何年も滞在していた時の経験に基づいて書かれていることがよくわかる。
ランチは食べれたのか?
記念館を出た頃は、15時頃。窓口の係の方に、近くに軽く食事できるところはないか尋ねたところ、街道を西に少し行くと、たい焼きのお店がある、と聞いて、喜んで行ってみたら、何と定休日(この日は木曜日)ではないか!
(左)たいやきさとう(水•木が定休日、Open時のGoogle Map写真)(長野県北佐久郡軽井沢町追分534)
(右)一歩BAKERY(火•水•木が定休日、Open時のGoogle Map写真)(長野県北佐久郡軽井沢町追分578)
「私たちのランチはどこへ消えた?」
「浅間神社を素通りしたからかな💦」
仕方がないので、ホテルに戻る前にコンビニで何か買ってお腹に入れようと、車でホテルまでの帰路の途中にあるコンビニに向かった。しかしここでまた道を間違えて、大回りすることに。結局、辿り着いたコンビニの駐車場で、やっとランチにありつくことができた。既に15時半になっていた。
これはこれで美味しかったが、食事時間は5分(笑)
今日は、下調べしておいたレストランのランチにはありつけなかったが、追分宿を堪能出来たし、まあ、こんな日もあるさ、と二人で慰め合いながら、夕食が待っているホテルマロウド軽井沢に向かった。
いよいよ明日は東京に戻る日。天気予報をチェックしながら、ホテルで明日の予定を考えよう。
昨年(2023年)9月後半に出かけた「軽井沢の旅」です。あわせてご覧ください😁