武蔵野つれづれ草

リタイア後を楽しく!と始めた凸凹夫婦の面白ブログ。見たこと、感じたこと、残したいことをつづります。

🙋‍♀️アンパンマンとやなせたかしと、サンリオと

 

子ども達に大人気のアンパンマン

その生みの親であるやなせたかし氏は晩年の著書アンパンマンの遺書」の中で、アンパンマンがいかにして誕生したのかを語っている。

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遠すぎる漫画家への道

戦後、復員してから漫画家になるまでのまわり道。なったはいいが、長い長い無名時代。頼まれる仕事はなんでもやった。
テレビ番組の司会。ミュージカルの舞台装置。リサイタルの構成、演出。テレビ映画のシナリオ。。などなど。
そんな仕事が全部アンパンマンの誕生に役立ったのだ。

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やなせ氏は自分に才能は無いと言う。

しかしとても多くの人々が彼に仕事を頼むのだ。

なんとあの手塚治虫にも、映画「千夜一夜物語」のキャラクターデザインを頼まれた。

やなせ氏は言っている。

天才の仕事を手伝ったことは大きな刺激となり、その後の自分にどれだけ役立ったかしれない、と。

彼自身は、なかなか芽が出なかった才能の無さを嘆いておられるが、他人を尊敬できる謙虚なお人柄も才能ではないかと思う。

 

サンリオの茶碗詩人

サンリオが「山梨シルクセンター」という小さな会社だった頃、その社長と知り合った。

社員6名位の何を作っているのかよくわからない会社だったらしい。(その後キティちゃんが大ブレイクして有名に)

ここで詩集を出版したり、ポエム付きの絵皿やコップを作ってみたりする。こんなもの売れないと思ったものが、奇妙に売れた。
「湯呑みの絵に励まされました」という人もいたという。

やなせ氏は当時を「湯呑み茶碗詩人」と自虐し、漫画家としてはみじめだった、と語る。

しかしこれらの仕事が後のサンリオ・スピリットの核を作り、サンリオを大きくしたといえる。
そして、詩集から絵本へ、まさしくアンパンマン絵本へとつながってゆくのだ。

 

 

やなせたかしさんの人生は、アンパンマンと共にあった。苦労も努力もすべてアンパンマンを生み出すためにあったのだ、とすら思えてしまう。

人生に無駄なことは無い

f:id:musashino007:20231217154657j:imageタイル状の陶器の置物(私も持っていた)

 

ところで、妙に売れたというポエム付きの絵皿云々…で、突然思い出した!昔、自分も友達からいくつか貰って、部屋に置いていたな〜と。

高校時代。お互いの誕生日にプレゼントしていた、仲良し4人組。

仲間がいたから楽しかった、あの時代。
くだらないことでも笑っていたあの時代。
今でも覚えているのは、
誰の名前が一番Barのマダムっぽいか?論争ーー

そもそもA美(仮名)が、自分の名前はバーの看板みたいで嫌だと言い出し、

私の名前だって結構なもんだよ〜、いや私の方がそれっぽいから、、、
とか言ってるうちに、じゃランク付けしてみようと。。。

 

結果、堂々1位は、やっぱりA美だった(笑)
2位はA子。3位が私。4位はM子。

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みんなが笑えるって とても素敵なこと

やなせたかしさんは、ずっと

そういっているような気がします

 

➖追記➖

ここまでできた時点で新たな情報が、、
なんと、来春のNHK朝ドラが「あんぱん」

やなせたかし夫妻がモデルだっていうじゃないですか❗️もっとも、ドラマは夫人の方にスポットをあてるようですが。。いや〜ビックリ!!

でも、こんな世の中だからこそ、アンパンマンを創りあげた夫妻の生き様を追ってみる
・・・いいかもしれませんよね☺️

 

仲良し4人組のエピソードはこちらの記事でも。
よろしかったらご覧ください♡

musashino007.hatenablog.com