子ども達に大人気のアンパンマン。
その生みの親であるやなせたかし氏は晩年の著書「アンパンマンの遺書」の中で、アンパンマンがいかにして誕生したのかを語っている。
遠すぎる漫画家への道
戦後、復員してから漫画家になるまでのまわり道。なったはいいが、長い長い無名時代。頼まれる仕事はなんでもやった。
テレビ番組の司会。ミュージカルの舞台装置。リサイタルの構成、演出。テレビ映画のシナリオ。。などなど。
そんな仕事が全部アンパンマンの誕生に役立ったのだ。
やなせ氏は自分に才能は無いと言う。
しかしとても多くの人々が彼に仕事を頼むのだ。
なんとあの手塚治虫にも、映画「千夜一夜物語」のキャラクターデザインを頼まれた。
やなせ氏は言っている。
天才の仕事を手伝ったことは大きな刺激となり、その後の自分にどれだけ役立ったかしれない、と。
彼自身は、なかなか芽が出なかった才能の無さを嘆いておられるが、他人を尊敬できる謙虚なお人柄も才能ではないかと思う。
サンリオの茶碗詩人
サンリオが「山梨シルクセンター」という小さな会社だった頃、その社長と知り合った。
社員6名位の何を作っているのかよくわからない会社だったらしい。(その後キティちゃんが大ブレイクして有名に)
ここで詩集を出版したり、ポエム付きの絵皿やコップを作ってみたりする。こんなもの売れないと思ったものが、奇妙に売れた。
「湯呑みの絵に励まされました」という人もいたという。
やなせ氏は当時を「湯呑み茶碗詩人」と自虐し、漫画家としてはみじめだった、と語る。
しかしこれらの仕事が後のサンリオ・スピリットの核を作り、サンリオを大きくしたといえる。
そして、詩集から絵本へ、まさしくアンパンマン絵本へとつながってゆくのだ。
やなせたかしさんの人生は、アンパンマンと共にあった。苦労も努力もすべてアンパンマンを生み出すためにあったのだ、とすら思えてしまう。
人生に無駄なことは無い
タイル状の陶器の置物(私も持っていた)
ところで、妙に売れたというポエム付きの絵皿云々…で、突然思い出した!昔、自分も友達からいくつか貰って、部屋に置いていたな〜と。
高校時代。お互いの誕生日にプレゼントしていた、仲良し4人組。
仲間がいたから楽しかった、あの時代。
くだらないことでも笑っていたあの時代。
今でも覚えているのは、
誰の名前が一番Barのマダムっぽいか?論争ーー
そもそもA美(仮名)が、自分の名前はバーの看板みたいで嫌だと言い出し、
私の名前だって結構なもんだよ〜、いや私の方がそれっぽいから、、、
とか言ってるうちに、じゃランク付けしてみようと。。。
結果、堂々1位は、やっぱりA美だった(笑)
2位はA子。3位が私。4位はM子。
みんなが笑えるって とても素敵なこと
やなせたかしさんは、ずっと
そういっているような気がします
➖追記➖
ここまでできた時点で新たな情報が、、
なんと、来春のNHK朝ドラが「あんぱん」
やなせたかし夫妻がモデルだっていうじゃないですか❗️もっとも、ドラマは夫人の方にスポットをあてるようですが。。いや〜ビックリ!!
でも、こんな世の中だからこそ、アンパンマンを創りあげた夫妻の生き様を追ってみる
・・・いいかもしれませんよね☺️
仲良し4人組のエピソードはこちらの記事でも。
よろしかったらご覧ください♡