木洩れ日と川のせせらぎが心地よい「ささやきの小径」を抜け、テニスコート通りをぶらぶらするうちに、「旧軽井沢銀座」のメインストリートに出た。
朝7時には東京の自宅にいたのが、とても信じられない。
旧軽井沢ロータリー側(西)を望む
つるや旅館側(東)を望む
🙋♀️ねえ、やっぱり普段の行いがいいんだね!曇り時々雨の予報だったのに、こんなにいい天気なんだから。
🙋♂️お天道様が見てくれてるんだな(笑)。でも日差しが少しキツイなあ。
通りには強い日差しをさえぎる木陰が少ないので、陽の光を浴びると、9月後半だというのに結構暑い。久しぶりの旧軽井沢銀座は、シーズンオフで賑わいはあまり無いが、静かに時が流れていて、とてもゆったりした気分になる。
🙋♂️まずは右にちょっと行ってみようか。
🙋♀️あれ、このお店ガイドブックに載ってたよ!軽井沢の古い写真がいっぱいあるみたい。
🙋♂️おぉ「土屋写真店」。ここ見たかったんだよ。入ろう入ろう!
「土屋写真店」(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢619)。ディスプレイには昔の軽井沢の写真が飾られている。
土屋写真店は、元は小林一茶も宿泊した旅籠(看板に「中山道 白木屋」の文字が見える)だったが、明治39年(1906年)に写真館として創業したらしい。なんと117年の歴史だ。だから、凄まじい量の、軽井沢の歴史を感じるモノクロ写真が展示・販売されている。見ていて楽しくて、時間を忘れてしまった。
屋内は撮影NG。これは外のディスプレイに飾られていた写真。
拡大すると「PHOTOSTAND TSUCHIYA 寫眞」の裏返しの文字が見える。
ここ軽井沢エリアは、江戸時代までは中山道の宿場町として栄え、軽井沢宿・沓掛宿・追分宿の3宿が置かれたところだ。明治になって一旦寂れたこの土地は、後に「軽井沢の父」と呼ばれるようになる、宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーによって再発見され、これをきっかけに外国人の避暑地・別荘地として開拓されたという歴史がある。だから、飾られている写真には、外国人たちが、社交パーティーや音楽会などで楽しむ写真が多い。
🙋♂️明治時代の旧軽井沢は、外国人宣教師やその家族が大半で、まるでイギリスの町みたいだ。でも、質素だけど清潔で、みんな明るくて楽しそう。
🙋♀️ほんとだね。でも今の旧軽銀座は、来るたびに、どんどん華やかで、若者好みの都会的な避暑地に変わってきている感じがするよ。特に今回は、以前よりカラフルになってない?
🙋♂️言われてみるとそんな気もするね。できることなら、写真にあるような、外国人先駆者たちがつくり上げてきた、素朴で質素だけど清らかな避暑地の雰囲気は、ずっと変わってほしくないなぁ。
「土屋写真店」を出た後は、550mある旧軽銀座のお店をのぞきながら、ぶらぶら歩いた。「このお店で娘のカバン買ったね」とか、「雨が降ってきて入ったお店どこだっけ」とか、昔を思い出しながら歩くのもいいものだ。
🙋♀️お腹空いたんでしょ?
🙋♂️なんでわかるの?
🙋♀️わかるさぁ。だってお腹空くと、言葉が少なくなるから(笑)。旧軽銀座には人気のパン屋さんあるから、行こうよ!
🙋♂️やった〜。あそこに「ブランジェ浅野屋旧道本店」がある。入ってみよう!
「ブランジェ浅野屋旧道本店」
(長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢738)
「Lemonシナモンロール」と、「信州産ルバーブとスイートクリームチーズのオザマンド」を購入。イートインコーナーで実食。美味しかった。
軽井沢観光会館に寄ったり、軽井沢特産のジャムのお土産や、長野県特産のご飯のおかずになるものを色々買っていたら、もう13時になっていた。
「軽井沢観光会館」(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢739)。木造のレトロな外観がいい。商店街のシンボルだ。
日差しはいよいよ強くなり、ジリジリと肌を焼いている。
🙋♂️これからどうする?ホテルのチェックインは15時だから、まだもう少し時間があるけど。
🙋♀️軽井沢駅のお土産屋さんで買いたいものあるんだけど、ここから遠いかな?
🙋♂️えっとね(Google mapで検索)、ここから軽井沢本通りを南に「1.6km」歩く感じだよ。大丈夫?
🙋♀️1.6km?うーん、足、持つかな。
🙋♂️ホテルマロウド軽井沢までだって「1.4km」だから、途中まで歩いてから決めようか?
🙋♀️わかった。ガンバだ!
青空の下、日差しの中を汗だく💦で歩く二人。これからどうなるのだろうか?
今回の「軽井沢の旅」の記事です。
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