武蔵野つれづれ草

リタイア後を楽しく!と始めた凸凹夫婦の面白ブログ。見たこと、感じたこと、残したいことをつづります。

🙋‍♂️原作漫画『風の谷のナウシカ』を読む

まさか、この歳になって「漫画」をこんなに夢中になって読むとは思わなかった。とにかく凄いのだ。宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の原作全7巻。これは、漫画の形を借りた、壮大な叙事詩だ。

先月のブログ〈👬我が家の【あるある】ある日の夫婦の会話「ナウシカ編」〉で、アニメ映画と原作漫画では結末がかなり違うみたいだから、原作を読んでみたくなった、と書いたが、実際に読んでみたら、結末が違うどころではなかった!

f:id:musashino007:20230611211809j:imageアニメージュ コミック ワイド版『風の谷のナウシカ』全7巻
7巻全部で4,367円(Amazon

f:id:musashino007:20230626180427j:image後で借りた、徳間書店風の谷のナウシカ 上下巻』
上下セットで12,388円(Amazon)上質紙で綺麗だが重い

一度夢中になって全巻読み終える。何だこれは!ともう一回全巻読む。頭がぼうっとなる。そのうち、疑問が次々に湧き上がる。分かったようで分からなくて、もう一度全巻読む。うんうん、そうだったのかと満足感に浸るが、同じく全巻読み終えた🙋‍♀️(妻)とあーだこーだ言っていると、また分からなくなって全巻読み返す。🙋‍♀️(妻)の感性と理解力は鋭いのだ。最後に自分に問いかけしつつ、メモを取りながらもう一回。こんな感じで合計5回読んで、おまけに、アニメ映画の方も久しぶりに見た上でこのブログを書いている。

映画版ナウシカと漫画版ナウシカは全く別物の作品だと言っても、過言ではない。

映画版と比較して、漫画版は設定がダイナミックかつ登場人物が圧倒的に多い。「この人の名前何だっけ?」となるので、自分なりに整理したのが次の『相関図』である。映画版の登場人物には印を付けた。これを見るだけで、漫画版の設定やストーリーの奥行きを想像できるはずだ。

f:id:musashino007:20230628144338j:image風の谷のナウシカ『相関図』

あらすじを書く気はないが、原作の雰囲気が分かるので、7巻の巻末に記載されていた1巻〜6巻の紹介文を載せる。7巻には紹介文は無いので、自分で書いてみた。ちなみに表紙はカラーだが、漫画自体は白黒である。
私には、この最後の7巻が一番理解するのが難しく、一番悩まされ、でも宮崎駿の描きたかった根幹が一番感じられる巻だと思えた。

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風の谷のナウシカ』について論じる書籍、評論は数多あるようだ。私も今回3冊借りて読んだ。新聞にもネットにもたくさんの記事を見かけた。当然プロのような解説は出来ないので、素人の自分だからこそ感じたたくさんの疑問点の中から、三点に絞って書いてみたい。

第一の疑問点
宮崎駿は12年の長期にわたって原作を描き続けているが、それは何故か?しかも、アニメ映画と原作漫画では、なぜこんなにも設定、ストーリーに違いがあるのか?

原作漫画が出版された時期に、宮崎駿が監督したジブリ映画の公開時期を追記してみた。とんでもなく忙しい中で、中断しながらも描き続けていたことが分かる。描かねば、という強い意欲・使命感が無ければ続けられるものではない。

1983年8月 第1巻出版
1983年8月 第2巻出版
1984年3月『風の谷のナウシカ』公開
1985年1月 第3巻出版
1986年8月『天空の城ラピュタ』公開
1987年5月 第4巻出版
1988年4月『となりのトトロ』公開
1989年7月『魔女の宅急便』公開
1991年5月 第5巻出版
1992年7月『紅の豚』公開
1993年12月 第6巻出版
1995年1月 第7巻出版

映画版では、「トルメキア王国」が「ペジテ市」から古代兵器「巨神兵」を略奪して艦船で運搬中、腐海の蟲(むし)に襲われ「風の谷」に墜落。その回収のために谷への侵略を開始し、それが原因で、さまざまな騒動が起こるところから物語が始まる。王蟲(おうむ)の子供を半殺しにして王蟲の大群にトルメキア軍を襲わせるのは、漫画版では「土鬼(ドルク)諸侯国」だが、映画版では「ペジテ市」だ。物語の後半では、王蟲と心を通わせるナウシカが奇跡を起こして、敵のトルメキア軍とも和解、希望が残る最後となった。風の谷、トルメキア、ペジテ市の三者しか登場しないので、非常にシンプルで分かりやすい。映画というメディアの特性として、分かりやすくかつ観客に希望のある明るい未来を見せる必要があったからだろうし、だからこそ大ヒットしたのだろう。

一方、漫画版では「トルメキア王国」と「土鬼(ドルク)諸侯国」という大国が戦争をしており、「風の谷」のナウシカは「トルメキア」側として戦争に参加する、という最初の設定から違いがあった。王蟲を使ったり、人工培養された粘菌を使ってトルメキア軍を滅ぼそうとするのは、映画版には出てこない「土鬼諸侯国」である。

第二のヒロインにも見える「クシャナ」や森の人「セルム」、土鬼王国末裔の「チクク」や土鬼の「僧正」、トルメキア王国「ヴ王」、土鬼皇帝「皇弟、皇兄」など、単なる登場人物ではない、掘り下げた重要人物が目白押しなのだ。これだけ複雑な設定にしたのも、最後のナウシカの決断に繋げるためだったことが、読み終えてみてわかる。

作中では戦争が激化するなか、ナウシカはセルムの助けを借りながら、腐海の真実と人類の行く末を知ることになる。

最後は、土鬼諸侯国の聖都シュワの「墓所」の主と対決し、ナウシカが真実を胸に秘めたまま、巨神兵オーマ(ナウシカの子)の力を使って、衝撃的な選択をすることになる。映画版のようなハッピーエンドではない。ナウシカの選択は正しかったのか、これから人類はどうなるのかと、考えさせられる最後なのだ。漫画版には宮崎駿の溢れるほどのメッセージが込められている。

宮崎駿の世界観、メッセージを、映画の二時間という短い枠の中で伝えるのは絶対無理だったのだろう。だから宮崎駿は、エンタメ性に力を入れた映画版では描ききれなかった思いを伝えるために、忙しい中、十二年間もかけて、物語性に重点を置いた漫画を、もがき苦しみながら描き続けたに違いない。

第ニの疑問点
巨神兵とは何だったのか?ナウシカはなぜ巨神兵オーマの母になったのか?オーマは幸せだったか?

映画版では核戦争による人類滅亡の象徴のような存在でしか描かれていなかった巨神兵だが、漫画版では全く存在感が異なる。この物語の結末には無くてはならない存在であり、妙にシンパシーを感じてしまう存在なのだ。

ナウシカ巨神兵の前で秘石(コントローラ?)を取り出すと、砕けて巨神兵の頭に吸収された。そのように千年前にプログラムされていたのだろう。その直後に巨神兵ナウシカに最初に言った言葉が、
「ママ‥ダ ヤッパリ アナタハ ワタシノ ママダッタ」である。
(以下、「 」内セリフは漫画原作から引用)

ナウシカはなろうと思って母親になったのではない。しかし、巨神兵を殺すための自分の攻撃で、結果的に巨神兵を世に放つことになってしまった。そのことを十分理解した上で、巨神兵の圧倒的な力を利用しようと考えたのではないか。ナウシカが、
「この子は生まれたばかりの赤子と同じなの 私 この子とシュワへ行きます この子は私の子です いっしょに墓所の扉をしめに行きます」
「おまえ とべるでしょう 行きましょう 西の土地へ」
と言って一緒にシュワに行ったのはそのためだと思う。

ナウシカの心の中では葛藤もあった
「(私は この子の死を願っている それなのに 母親のふりして 笑顔で はげましたりして 私の心を見抜いたら どれほど深く傷つくかしら 自分は生まれてはいけなかった なんて知ったら)」

ナウシカは、自分自身も巨神兵も残された時間はわずかだと感じ、巨神兵に話しかける。
「とぶ前に 私の話を よくきいて あなたはとても強い力をもってるやさしい子 でも立派な人になるには それだけではだめ 力のおそろしさも学ばなければ いけないの 世界を敵と味方だけにわけたら すべてを焼き尽くすことになっちゃうの 私のいいつけを守って 立派な人に なりますか?」
「ナル‼︎  リッパナ ヒト ナル‼︎」
「ではあなたに名前をあげます
(心の中:わたしはこの子の力を借りて シュワの墓所を閉じます とても危険なカケ)
私は 風の谷の族長ジルの子 ナウシカ そなたは ナウシカの子 オーマ」

この時巨神兵の知恵のレベルが急に進むのだ。これも千年前のプログラミングだろう。
「わが名はオーマ 風の谷のナウシカの子 オーマ‼︎ オーマは光輪を帯びし 調停者にして 戦士なり」

シュワの墓所でのオーマの最後の言葉が切ない。
「母さん‥よく見えない よく見たいのに でも 母さんが元気で うれしい ぼく 立派な人になれたか 心配だ」
「オーマ あなたは 私の自慢の息子です 誇り高く けがれのない心の 勇敢な戦士です それに とても やさしい子です」

ナウシカはどれほど苦しく悲しかっただろうか。なりたくてなった母親ではないが、この時に、本当の母親になれたのかもしれないし、巨神兵オーマも満足して死んでいったのではないか、と思いたい。

また、宮崎駿は、人類を滅亡させる力を持つ巨神兵だって、慈しみを込めて育てれば立派に育つのだ、と「私たち人間」に対して、比喩として言いたかったのではないだろうか。

第三の疑問点
シュワの墓所の主と対決し、最後に下したナウシカの選択は正しかったのか?果たして人類は生き残れるのだろうか?

漫画版では、映画版ではあまり描かれていなかった人類の闇が深く描かれている。

失われたはずの千年前の旧文明の技術が、実は土鬼の聖都シュワのピラミッドのような不気味な巨大建造物の場所で生き延びていて、結果的に「粘菌」という生物兵器を新たに作りだし、その暴走が、世界を破滅の淵へと追い込んでいく。

ナウシカはシュワへの過酷な旅の中で、「腐海」の意味、王蟲や蟲たちの存在目的を知り、最後の『シュワの墓所』との対決で、清浄化後の人類の未来の「胡散臭さ」を感じることになるのだ。

漫画版で伝えたいのは「世界を破滅させるのは核兵器ではなく、むしろ生命を操る技術が、人類や文明をおかしなところへと追い込んでいく」ということではないか。

しかも、『シュワの墓所』から得た技術を独占した者が、権力を握って王となり、知恵や技術がすべての人々に富や利益や健康を与えるのではなく、人々を分断したり、搾取したり、支配したりするための手段となってしまっている、ということに、ナウシカは「そんな技術を使った人工的な人類の未来だったら、いらない!」と思ったのだろう。

私も、ナウシカの最終選択には賛成だ。『墓所の主(千年前の教団の神か?)』が創ろうとした「穏やかで、平和な桃源郷」はまやかしだ。

実は、現代を生きる我々も、そこに、たどり着きつつある。生命を操る技術がもてはやされ、AI(人工知能)の開発スピードは目覚ましい。漫画が描かれた時代から40年経ち、時代がようやく『ナウシカ』に追いついた、と言えないでもない。

では、千年の間伝えられてきた『生命を操る技術』を捨て去ってしまって、果たして、人類は生き残れるのだろうか?

墓所の主がナウシカにこう言った。
「娘よ お前は 再生への努力を放棄して 人類を亡びるにまかせるというのか?」

ナウシカの返事は、
「その問いはこっけいだ 私たちは腐海とともに生きてきたのだ 亡びは 私たちの暮らしのすでに 一部となっている」
王蟲のいたわりと友愛は 虚無の中から 生まれた。 いのちは 闇の中の またたく光だ‼︎」
「巨大な墓や 下僕などなくとも 私たちは世界の美しさと残酷さを知ることができる 私たちの神は 一枚の葉や一匹の虫にすら宿っているからだ」

そして対決が終わったあと、残った人々にこう語った。ナウシカは、闇を持つ人類のまたたく光にカケたのだ。
「さあ みんな 出発しましょう どんなに 苦しくとも」

今から二十数億年前、地球は、ナウシカの世界で腐海が排出する「瘴気」のような、有毒ガスで汚染されていた。その有毒ガスとは『酸素』だ。

三十億年前に光合成を行うシアノバクテリアという藻が発生し、大量の酸素を作り始めたからだ。当時の大半の生命にとって酸素は毒であり、多くの生物種が絶滅した。これって、ナウシカの世界と似ていないだろうか。

ところが、ある時、毒である酸素を逆に利用し、効率よくエネルギーを作り出すバクテリアが突然変異で出現した。このバクテリアを食べた微生物の一部は、消化せずにバクテリアを体内に取り込むことで、自らも酸素を克服することに成功した。こうして細胞と共生するようになったバクテリアの子孫が現在、我々人間を含む多くの動植物の細胞の中にある『ミトコンドリア』である。

生物というものは、柔軟でタフなのだ。

腐海の森の王蟲や蟲、粘菌や植物は、既に一つの生命体のようだ。人間と腐海の森の生物は、徐々に共生し、お互いが変化して危機を脱出出来るのではないだろうか。生命を操る技術が無くなっても、人間も含めた多様な生物が持つネットワークの力で、生き残っていくはずだ、とナウシカは信じて決断したのだと思うし、それこそが宮崎駿の伝えたかったことの一つだと思う。

 

作中で、権力闘争、国家間の戦争、憎しみの連鎖による殺し合いなどが、これでもかこれでもか、というほど出てくる。しかし、現実の地球上でも、今、ロシア・ウクライナ戦争だけでなく、世界各地でひどい紛争が続いている。爆弾の飛び交う中で、水も食料も医療もなく暮らしている人々がいる。

ロシアに事実上編入された、ウクライナクリミア半島北側に、『腐海(シヴァーシユ)』という名前の地が実際に存在する。宮崎駿がこの戦争を予感していたかのようだ。

どうして、互いの民族・宗教を認め、互いの言葉を信じることが出来ないのだろうか。人類ってこんなに愚かなんだろうか、と考えれば考えるほど苦しくなる。このような人類が原作漫画と同じように『生命を操る技術』と『進歩したAI』を持とうとしているのだ。ナウシカの世界と同じような未来が現実に来ないとも限らない。

でも、私もナウシカと同じように、人類の未来を信じたい。信じて出来ることをやっていきたいと思う。

 

7月にジブリアニメがテレビ放送
ちょうどタイミング良く、日テレの金曜ロードショージブリのアニメ映画が7月7日から3本放送される。見るたびに印象が変わるのが映画の醍醐味だと思う。ぜひ、漫画の原作と共に、宮崎駿の世界を楽しむことをお勧めしたい!原作を読めば、多分、いや絶対、誰かに何か語りたくなると思う。

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ナウシカ解説本
解説本は、哲学、宗教、歴史、文化、社会、科学など、それこそあらゆるジャンルにわたって数多出版されている。描いた宮崎駿ですら読んで感心しているそうだ。それだけ、『風の谷のナウシカ』の原作漫画は、漫画の世界を超えた存在だという証拠だろう。
ここでは、たまたま図書館で借りることが出来た3冊の書名、著者、出版年月を紹介したい。

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1. ナウシカ考 風の谷の黙示録
 (赤阪憲雄、岩波書店、2019年11月)

2. 宮崎駿マンガ論 -『風の谷のナウシカ』精読
 (小山昌宏現代書館、2009年6月)

3. ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ
 (スタジオジブリ文藝春秋、2013年4月)

 

今回『風の谷のナウシカ』の原作を読むきっかけになったブログ(5/25)と、腐海の森に似ていると感じた「マザーツリー」の本のブログ(5/1)を参考に載せておきます。

musashino007.hatenablog.com

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