武蔵野つれづれ草

リタイア後を楽しく!と始めた凸凹夫婦の面白ブログ。見たこと、感じたこと、残したいことをつづります。

🙋‍♂️『日日是好日』

リタイアしてからは、日日是好日が私のいわゆる座右の銘になっている。心の持ちよう、あるいは、心構えと言ってもいい。

人生80年を1日(24時間)とすれば、私は今「20時(午後8時)」を生きている。残りの人生はあと4時間だ。1日で3秒、20日で1分減っていく。

だから、毎日毎日が、かけがえのない日。
今、生きていることに感謝して、このかけがえのない毎日を、大切に過ごそう。良い時も悪い時もあるけれども、それも感じ方次第、考え方次第で変わる。朝起きて、夫婦二人でなんだかんだ一日過ごして、そして夜寝る。それだけで、充分幸せだ。ウクライナパレスチナの人々のことを思うと、特にそう感じる。

f:id:musashino007:20231201150641j:image結婚記念日の朝、近所で摘んできた。(2022.10)

退職直前は、身体がガタガタになっていた。手指は慢性関節炎がひどくて、ゴルフをやめた。耳は加齢による難聴で、飲み会での会話が大変となり、また歯科にも長く通う羽目になった。でも、一番の心配は眼。老眼・白内障だけでなく、緑内障にも罹って、将来の老後の生活に警報が鳴った。

人生の残りの日々、どう過ごすべきか、夫婦二人で真剣に話し合うことが増えた。男性の平均健康寿命は74歳くらい。あと10年も残っていないのだ。残りの人生でやりたいことは何か?やるべきことは何か?

「もう一年何とかやってくれませんか」という依頼もあったが、固辞して65歳で退職した。

退職した際に、妻から、「今まで42年間、家族のために一生懸命働いてくれて、本当にありがとう。お疲れ様でした」という言葉をもらった。私からも、「退職したのは夫だけではなくて、妻も主婦の仕事から退職だよ。結婚してから今日まで38年間、家族を支えてくれて本当にありがとう。お疲れ様でした。」と返した。私たちは2人とも同時にリタイアしたのだ。

リタイア後の生活

完全リタイア後の、「しがらみ」のほとんど無い今の生活は、ストレスが無く、大いに楽しい。もちろん、夫婦でケンカをすることもあるし、老後のこれからの生活や、子供や孫たちのことで心配することも多いが、リタイアから約1年半経った今、辞めて良かった!と、心底思っている。

musashino007.hatenablog.com

夫婦ブログは、退職前から少しずつ準備を進めていた。慣れるために15件位試験的に書き溜めてから、昨年(2022年)12月25日に、公開設定を「全ての人にオープン」にして、本格的にスタートした。運営の基本は、①ブログライフを楽しむ! ②書くことにより新しい自分を発見する!、である。それからちょうど1年経った。

1年前にも書いたが、「書くこと」は「考えること、自分を省みること」だと思う。できるだけ身近な問題に目を向けることから始め、少しずつ視野を広げてゆきたい。とはいえ、書くことが負担になったら本末転倒なので、ノルマは設けていない。記事数は二人合わせて月に平均6件程度だが、それでも結構大変だ。毎日書いている人は凄い!

私たち夫婦は、時々編集会議のようなもの(笑)を開きながら、”つれづれ”なるまま記事を書いている。本当に吉田兼好の「徒然草」のように。そのおかげで、退屈しない毎日が過ごせているように思う。ブログをまとめる過程で、街歩きも旅も読書も、密度が何倍にもなった気がする。ボケ防止にもつながっているかもしれない(そうであって欲しい!)。

また、色々な方のブログを読ませていただくことによって、世界が広がる感じがする。始めてしばらくは、書いていても誰も見てくれないかもと思っていたが、ありがたいことに、少しずつ見てくださる方も増えてきた。私たちのブログに足を運んで読んでくださる方には、感謝しかない。スターやコメントはものすごく励みになっている。本当に本当にありがとうございます。

図書館に時々通って、興味や関心の赴くまま読書(私は“ノマド読書”あるいは“ハイパー読書”と呼んでいる)をするのも日課だ。大抵、数冊の本が居間に転がっている。お散歩は人の少ない平日に。公園やカフェで美味しいランチ。滅多には出来ないが、オフシーズンには泊まりがけの旅行も出来た。料理は大ベテランの妻に教えてもらいながら修行中。やりたかった電子ヴァイオリンもスタート出来た(が、手指関節痛が…😢 今は中断中)。そして、ニュースを聞きながら、あるいはドラマ映画を見ながら、夫婦で「あーだこーだ」おしゃべりする日々。

こうやって振り返ってみると、改めて毎日が幸せなんだと思う。夫婦ともどもお医者さんにかかっているが、まあ何とか今は(かろうじて)生きている。まさに「日日是好日」である。

f:id:musashino007:20231222231250j:imageある日の富士山夕景(2022.12)

座右の銘箴言

実は、他にも座右の銘箴言は、頭の引出しに色々と入っている。今までの人生を振り返ってみれば、仕事が死にそうに大変な時や、家族で苦しい時や辛かった時、その時々で心に響く言葉は違った。その中で、42年間にわたる長い会社員生活においては、特に、以下の二つの箴言が生きる指針になったものだ。

⚫︎揺れども(たゆたえども)沈まず「Fluctuat nec mergitur:フルクトゥアット・ネック・メルギトゥール(ラテン語)」

f:id:musashino007:20231203211639j:imageパリ市の紋章(Wikipedia「Coat of arms of Paris」)

古代ローマ箴言より。パリが市の紋章としてこれを採用。フロイトがこれを一生の銘句としていた。
・どんな強い風が吹いても揺れるだけで沈みはしない。
・古代地中海をゆく一艘の帆船が風波にさらされ、険しい海路をゆく時の不安と危険、それを乗り切る船乗りの心象を描いた隠喩としても卓抜だが、そこから転じて色々な意味作用を与えてくれる。陸地産の言葉でなく、船が孤独に漂流し、そのへ先を必死に保ち危険な航海を終えた船乗りの心意気を伝えた言葉である。動揺と葛藤に直角に逆らうのではなく、むしろそれらに呑まれつつ揺れていくこと。いつも浮動しつつ定点を見逃さず終着の港に何とか辿り着くこと。自己を一艘の船に擬してみること。
朝日新聞「一語一会」1999.3.23より要約)

⚫︎随処作主 立処皆真
(ずいしょさくしゅ,りっしょかいしん)
「随処に主と作(な)れば、立つ処皆真(しん)なり」

f:id:musashino007:20231201152039j:image(無想庵コラムより)

臨済宗(示衆)より
・どの道を生きようとも、常に自分の本心を忘れず、主体的に生きるならば、そのよって立つ所は全て真実の道に通じる。
・どんな仕事を与えられても、その仕事、役割に適応しつつ主体的に取組んで主人公になった意気込みをもって励むならば、おのずから道が開け、自分にとっても真実の生き方、すなわち自己実現につながっていく。人間どのような立場に遭遇しようと、またどんな仕事につこうとも逃げ腰になってはいけない。
(出典は不明。何処かの記事からだと思う)

仕事で超えられそうもない問題が起きた時、落ち込んだり諦めかけたりした時、あるいは、自分のやりたかった仕事に携われなかった時など、どれほどこの二つの言葉に助けられたことか。もちろん、どんな時も、妻が横に居てくれたが。

リタイアした後は、これらの言葉に頼ることはもう無い。それよりも、「日日是好日」や、あるお寺の”今月の言葉”に書かれていた「いつまで生きるかは決められない。だが、いかに生きるかは決められる」という言葉の方が、今は心に響く。


ただ、時にはこんな言葉を思い出すこともある。

「36億年の歴史を持つ生き物が、その歴史をたどって今私のところにたどりついている。36億年の歴史を持つ、宇宙の点、それが私。」柳澤桂子生命科学者)朝日新聞(2000.2.2夕刊)「語る」より)

柳澤桂子氏は、こう語っている。

「36億年ぐらい前に、どこか海で命が芽生えた。それがずうっと絶え間なく、私の体の細胞の中に全部その遺伝情報が伝わっているから、私がここに生きている。一度も途絶えていないんですよ、36億年間。複雑にはなっている。でも細菌だったころから、ずうっと何かの形でつながっているから、私はここに今いるんです。」

自分の細胞が36億年前から繋がっているなんて不思議な感覚だ。しかし、私が今存在しているのは、生命が誕生してから一度も生命の"糸"が途切れていないからだ、というこの事実は重い。過去、ビッグファイブと呼ばれる生物の大絶滅があったが、今は過去を上回るペースで6回目の大絶滅が起きていると発表する科学者も多い。
私は/私たちは("人間は"と言い換えた方がいいかもしれないが)、36億年の生命の歴史を、次の世代に繋げることができているのだろうか。そのために役立つことをしているのだろうか。

2024年は、そんなことも考える年にしていけたらと思う。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。2024年も、よろしくお願いいたします。
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