父親が転勤族だったので、小学校は3つも転校した。入学した時は東京だった。
たまたま東京に居たとはいえ、当時、七五三祝に明治神宮まで子供を連れていくのは、母親が「七五三は明治神宮でやったんだよ」
と、後々まで言っていたのからしても、かなり誇らしいことだったのかもしれない。
残っていて驚いた
これも、後になってから聞いた話だが
生まれてから一度も郷里を出たことの無かった父親が、せっかくの東京赴任だから、なるべく家族をあちこち東京見物に連れて行ったのだ、そうだ。
きっと張り切ってもいたのだろう。
(左)明治神宮 (右)帰りに新宿で
私は、まるでご機嫌なちびまる子^ ^
そして実は、明くる年の正月に再び晴れ着を着て、今度は神田明神へ初詣に出掛けた。写真が残っている。
一度きりでは勿体無いと思ったのか、私がもう一度着たいとせがんだのかは分からない。
昭和初期に育った両親にとって、東京はどんな風に見えただろう。
戦後復興を遂げていた、首都東京で
希望を胸に生きていた両親の姿が見えてくるような気がする。
母がずっととっておいた草履
ところで、今、明治神宮外苑には再開発をめぐる問題が起きている。
新聞記事やテレビニュースの情報を紹介するとともに、感じたことを少し書いてみたいと思います。
この再開発については、7月19日事業者が3日間の住民説明会をひらいたが、多くの樹木を伐採し、超高層ビル2棟を建てる計画への批判は収まりそうもない。
解体工事は既に開始している。
プロセスの問題点は?
都と事業者の協議型で進められているこの再開発は、2012年頃から約10年間ほぼ関係者だけで話が進み、市民が知ったのは、「開発計画が決まった後」だった。
議論を避けて実現を急ぐような姿勢とみられ、不信感を招いてしまった、のではないか。
空から見た明治神宮外苑。真ん中緑が「神宮球場」、右下が「秩父宮ラグビー場」
そもそも明治神宮外苑とは?
1920(大正9)年、その8年前に亡くなった明治天皇と皇太后を祀る明治神宮が造られた。
外苑は、神宮創建の記念として1926年に造られたもの。
ラグビーの聖地こと秩父宮ラグビー場や神宮球場などもできた。
外苑創設の目的は「体力向上や心身を鍛える場」「文化芸術を広める拠点」であった。
公共性は無視できない
外苑は、国民から信託されて創られたもので、通常の開発とは違う。国民の寄付、献木、勤労奉仕によってつくられた歴史がある。
と、同時に、普段から多くの人に利用されている公共性の高い場所である。(都市計画公園)
多くの人が公共的だと認識しているものを変える時は、より慎重かつ丁寧に多くの人の知恵を集めたほうがよかったのではないか。
明治神宮外苑の銀杏並木
都心の緑は守れるか
対象エリア28.4ヘクタールに1,904本の樹木がある。都は、防災や環境保護の為として、外苑を「都市計画公園」や国内初の「風致地区」に指定している。
伐採はするが新たな植樹によって樹林は増える、というが、高層ビルにおけるビル風や日照の環境下でうまく育つかは難しい。
そして「森林全体が生き抜いていくために、樹木は人間の脳内の様に、異種同士でもお互い繋がり合っているのだ(スザンヌ・シマード)」とする重大な研究論文もある。
だとすれば、700本以上も伐採したらどうなるのだろうか。
スザンヌ・シマード教授の著作をご紹介しております。
その後は・・・
9月7日、大きな動きがあった。
ユネスコの諮問機関「イコモス」がヘリテージアラートを発したのだ❗️(危機的状況にある文化的資産を守るために出される声明)
手続きのやり直し、事業の撤回を求められた都と事業者は、樹木の伐採本数を見直すこととし、
9月29日
伐採は年明け以降、と変更された!
高層ビルは本当に必要なのだろうか。
歴史ある森を壊してしまっていいのか。
樹木伐採の開始時期が数ヶ月延期した今、再開発の意義と方向性をもう一度じっくりと議論してほしいと思います。
最後に再開発への思いが込められた
サザンオールスターズの新曲「Relay~杜の詩」を。
この問題に声を上げていた坂本龍一さん亡き後桑田佳祐さんは「次の世代のために何を残せるか」と考えたそうです。「歌詞にすべて込めました」とのこと。。。いい歌です❗️
長々とお付き合い頂きありがとうございます😊