武蔵野つれづれ草

リタイア後を楽しく!と始めた凸凹夫婦の面白ブログ。見たこと、感じたこと、残したいことをつづります。

🙋‍♀️三鷹の「親分さん」


  ー新たな年が平和でありますようにー

昨年、指輪紛失事件(🙋‍♀️なぜ指輪は無くなったのか? - 武蔵野つれづれ草)のあった三鷹市だが(笑)
三鷹には昔、父の大切な人が住んでいた。父は、
その人物、Oさんを「親分さん」と呼んでいた。
就職から結婚から…何から何までお世話になり、それは「お仲人さん」の比ではないのだと、よく言ったものだ。

親分」「子分」などと聞くと反社会的勢力かと驚いてしまうが、長野では古くからこうした制度があり、の独り立ちを助けた。
調べてみると、松本市あたりでは呼び方が異なり、「鉄漿親(はねおや)」をたてて結婚式をする風習があった。そして、結婚後の2人の後見人的な立場で世話をしたらしい。
しかし、どちらも時代と共に馴染みが薄くなっており、最近は、お仲人さえいない結婚式が多くなっている。


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生まれて初めてのお正月に、父と (1歳頃)

 

戦時中に少年期を過ごした父は、終戦時12歳位。お国の為ではない、自分の為の人生の始まりだった。そして就職した頃は、まだ戦後の混乱が残っていただろうか…

「Oさんとオフクロが仲良くしてたから…」
「就職できたのはOさんのお陰」
というのは、
身元保証人のことだろうか。他人の保証人になるのは大変なことだ。それとも口利きでも頂いたのか。。詳しいことは聞いていない。

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(左)表紙が包装紙で補強された母子手帳 (右)初節句の記録に「親分」の文字がある

 

そもそもOさんとは、どんな人だったかというと
父曰く、
「お嬢様なんだぞ。女学校に行ったんだから」
「元貴族の家柄だから世が世なら凄かったんだ」
子供時代に聞かされた時には、ピンとこなかったが、おぼろげに何か違うのだな、と感じていた。
では、そんな人との接点はどこにあったのだろう?
これも父の言葉だが、
「なんかオフクロがOさんの着物を時々縫ってあげてたんだ」という。

あと、もしかすると産めよ増やせよの時代、父の実家は男兄弟6人を育て、2人を戦地に送った立派な家だ、などと近隣には思われていたのかもしれない。実際、当時は一家から出征者があると玄関の上に名誉の貼紙が、その人数分貼られたそうだ。。


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頂いたお祝いの覚え書き。時代を感じさせる品物の数々。Oさんの名前もある。誰が落書きを糊付けしたのだろう?

 

Oさんと直接会った私の記憶は僅かしかない。
鮮明なのは高校入学した夏に、長野県のとある温泉に湯治中のOさんを訪ねた時のこと。

喜んで迎えてくれて、女学校時代の事を話してくださったように思う。
ご主人を亡くした後のOさんは、もう既に娘さん夫婦の住む東京、三鷹市へ移住していた。
三鷹のどの辺りにお住まいだったのか、今となってはわからない。

あと、これは10年程前に父から聞かされて驚いたのだが…
三鷹のOさん夫婦には子供が無かった。それで、私を養女に貰って、『日本橋ピーピーの息子さんと結婚させたい、という話があったという。
たぶん、私が21歳位の頃のこと。。

「結局、断ったんだけどな」と笑っていたけど
大丈夫、、そのまま話を進めたとしても私じゃとても無理。先方から断られたよ😂

それとも、父はOさんへの恩返しの機会を失ってしまったのか
それはいくら考えても分からない。

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母の婚礼写真と母子手帳など。「育児手帳」を開いたものが、上の2枚の写真

 

盆暮のご挨拶を欠かさなかった親の姿。

かつて、両親のアルバムで見た記憶のあるOさんの写真は、私のアルバムでは一枚も見つけられなかった。
母が亡くなった後に、父が捨ててしまったので両親のアルバムは、もうない。

けれど、私の頭の中にはOさんの姿を思い起こすことができる。

 

誰もが一生感謝されたり、印象をひとに強く残して一生を終えるわけではない。

 

しかも、時代は移り変わり、人の繋がりは希薄になったといわれている。

それでも、ひとは

どこかで人のお世話になっていたり、逆に人の助けになることもあるかと思う。

たとえ一期一会の小さなかかわりであったとしても・・・

 

 

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そう、このブログだって最初はずっと誰の目に触れることもないブログだった。
嬉しい実感を得られるようになったのは、見に来て下さる方々のお陰。時間を割いて☆や、お言葉までくださる方々のお陰なのです。
そうした方々にどれだけ力付けられてるかわからないね、といつも話しています。
本当にありがとうございます🙇‍♂️🙇‍♀️

今年もゆっくりですが、頑張ります^ ^ ので
   どうぞよろしくお願いします。