武蔵野つれづれ草

リタイア後を楽しく!と始めた凸凹夫婦の面白ブログ。見たこと、感じたこと、残したいことをつづります。

🙋‍♂️14年前のあの日・・・

 

東日本大震災が起きてから、14年が経った。

この震災の死者・行方不明者(関連死を含む)は全国で2万2,228人に上る。行方不明者はまだ2,520人(3月1日現在)もいるのだ。しかも全国の避難者は、いまでも約2万8千人(2月1日現在)もいる。うち約9割の約2万5千人を、福島県からの避難者が占めるそうだ。

それまでの平和な日常がいきなり失われたままの14年。亡くなられた方々の無念さは言うまでもない。生きたくても生きられなかった命がある。そして、家族を失われた方、被災された方の悲しさ・悔しさは、14年経っても変わることはないだろう。震災は決して過去のものにしてはいけないと思う。

14年前のあの日、あの時間。私は長野行きの新幹線に乗っていた。お昼頃だったか、仕事中に実家の兄から「入院中の父が危なさそうだ。帰って来れるか?」という一報が入り、取るものもとりあえず、新幹線に乗って長野に向かっていたのだ。

当日の新幹線の切符。

f:id:musashino007:20250311145352j:image3月11日13:09 東京入場と赤で印字されている。地震発生の1時間37分前に、東京駅の新幹線改札を通り、長野行きの新幹線に飛び乗ったということだ

座席に座ってあれこれ父のことを考えていたら、急に新幹線に急ブレーキがかかり緊急停車した。地震発生(14時46分18秒)から何秒か経って「新幹線早期地震検知システム」が作動したのだ。

停車すると同時に、今度はものすごい揺れがやってきた。まるで、ボートの上で大波に揺られているかのようで、高架が崩れてしまうのではないかと思ったくらい。でもその時はまだまだ悠長に構えていた気がする。だってそのうち動き出して長野に向かうと思っていたのだから。

新幹線はその場所にずっと停まったままだったが、2時間くらいした頃、ゆっくり動き出して、一番近くの「本庄早稲田」駅のホームに停まった。高崎駅の一つ手前にあり、北陸新幹線あさまが一部停車する駅だ。

f:id:musashino007:20250312074107j:image本庄早稲田駅に着いて、ホームに降りる乗客。時間は16時40分

私はこの場所で一晩過ごすことになる。そして長野行きは断念し、翌日早朝からバスと電車を乗り継いで、家族の待つ自宅にやっとたどり着いた。もう夜である。長い長い2日間だった。家族の顔を見てホッとしたのもつかの間。自宅のテレビで、東北を襲った津波の映像を見て、言葉を失った。想像を超えた地震だったのだ。

東北の被災者の方たちの苦難とは比べ物にはならないが、職場でもなく自宅でもなく、馴染みのある通勤途上でもない、いわゆる旅行中に大地震に遭遇した時に、経験した事・困った事を少しだけ振り返ってみたい。

広域停電のため、駅間で新幹線に閉じ込められた人も多かった中で、私が非常にラッキーだったのは、私の乗った新幹線は、近くの駅ホームに移動・停車し、出入りが自由だったことだ。もう一つは、座る場所(休む場所)とトイレがあったこと。夜中にはおにぎりとお茶が配られたし、申し訳ないくらいだ。

もちろん、東京の自宅への電話は繋がらないし、メールは送っても返事は来ない(というより届いているのかさえもわからない)。でもこれは何処でも一緒だったろう。結局、長野の実家経由で家族の安否確認をすることができた。自宅にいた妻と娘は、重いピアノが動いたほど揺れが大きかったらしいが、無事だった。

一番困ったのは、携帯電話のバッテリーである。あちこちに電話やメールをしたり、調べ物をしていると、バッテリー容量はどんどん減ってくる。最近は座席にコンセントが付いている新幹線もあるが、地震の時に都合よくそういう席に座れるとは限らない。携帯電話のバッテリーが、移動中(旅先)では如何に大事な生命線であるか、身にしみて分かったのがこの日であった。

かろうじて充電器は持っていたので、初めはトイレ横の洗面台のコンセントを使って充電をしていたが、置きっぱなしにもできないし、ちょっと充電しては自席に戻るを繰り返していた。


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(左)真夜中の新幹線ホーム(3月12日0時15分)
(右)トイレ横の洗面台で充電中(3月12日3時45分)

他にコンセントはないかとホームから降りて改札ロビーに行くと、柱にある掃除用のコンセントの前で、順番で充電しているのを見つけた。私もその列に入って充電をしたが、一人30分だとしても、何時間もかかる。三又コンセントがあれば効率がいいのにと思ったのはこの時だ。結局、3月11日の晩は、ほとんど一睡もできなかった。


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(左)1階の構内ロビーで過ごす乗客たち。殆どは車内で休んでいた。ここにある柱のコンセントを、何人かでシェアしながら充電した(3月12日4時12分)
(右)駅改札の外から構内ロビーを見る(3月12日4時26分)

この日を境に、通勤用カバンには必ず、❶長時間バッテリー、❷充電器、❸三〜四又コンセントを入れて、毎日持ち歩くようになった。少し重いが、いざという時にはこれがあれば一安心である。リタイアした現在でも、外出時の必需品だ。

f:id:musashino007:20250311224453j:image現在持ち歩いているのは、Anker製の20,000mAhバッテリー、充電器、四つ又コンセント

 

この震災が起こるちょうど1週間前の土曜日。私と妻は花見がてら散歩したりランチしたり、平和で幸せな時間を過ごしていた。1週間後に、東日本大震災が起こるとは、もちろん夢にも思っていない。

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「天災は忘れた頃にやって来る」と物理学者の寺田寅彦が警句を残している。昨年の1月1日も、突然能登半島で大地震が起きた。南海トラフ巨大地震はいつ起きてもおかしくない。しかも、その規模は、東日本大震災の何十倍にもなると想定されている。
(震度面積を東日本大震災と比較すると、南海トラフ巨大地震の方が震度7の面積で約96倍、震度6強で約11倍、震度6弱で約4倍になると想定される)

日本は災害と隣り合わせで、大地震はいつなん時どこに起きるか分からない、ということを決して忘れてはいないし、夫婦二人ともその怖さは十分にわかっているつもりなのに、我が家の防災対策は中途半端のまま進まないのは何故だろう。目先のことに追われて、大事なことなのにいつも後回しになってしまう。

東日本大震災から14年経った今、改めて、防災・減災対策を急がねば!と強く心に誓った3月11日だった。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。